日 時:平成29年9月21日(木)16:10~17:10 会 場:滋賀大学 彦根キャンパス セミナー室(大)(士魂商才館3F) 演 題:『Tail Risk Dumping-テールリスクの行方-』 講 師:植田 健一氏(東京大学大学院経済学研究科 准教授) |
[講師略歴]
植田健一氏は、東京大学経済学部卒業後に大蔵省に入省されましたが、研究者を目指しシカゴ大学に留学しました。2000年にシカゴ大学から博士号の取得と同時に、IMF(国際通貨基金)に着任され、約14年間務められた後、2014年に東京大学の教員として帰国されました。大学院時代の指導教官は、Frisch Medal*を二度も受賞したことのあるRobert M. Townsend氏であり、一般均衡や契約理論の専門家であり、costly state verification**等の先駆的になる概念・理論を経済学に導入し、発展途上国における大型の家計サーベイ(アンケート)調査を先駆けて行ったことでも有名です。植田氏の今回の研究論文も、一般均衡理論の枠組みでcostly state verificationを導入されていることを考えると、Townsend氏の系譜を受け継いでいる研究者の一人であることが分かります。
*Frisch Medalは、経済学の5大学術誌の一つであるEconometricaに掲載された過去5年間の論文から2年に一本だけに授与される賞です。雑談ですが、経済学で有名なもう一つの賞はJohn Bates Clark Medalで、こちらは40歳以下の研究者に一年に一人だけに与えられる賞です。どちらの受賞者も、将来にノーベル経済学賞の受賞者となる可能性が高いことが知られています。
** Costly state verificationとは、実際の状況(state)を関係者全員に認識・証明するのには費用がかかるとする概念である。一方、有名なArrow-Debreuの一般均衡モデルでは、将来の不確実なあらゆる状況(state)に関して事前に記述した契約(state-contingent contracts)が結べることが仮定されている。これには、状況を認識・証明するのに費用が一切かからないという前提があることになる。
[研究背景]
植田氏は、米国住宅市場のサブプライム融資問題から端を発した2008年以降のグローバル金融危機時に、まさに世界的な視野で金融危機に対処が迫られたIMFのエコノミストとして政策提言の一環を担う立場にいた。当時は、金融機関に対する救済や規制強化等の緊急性のある問題が山積みであり、じっくりと金融危機に対応した緻密な経済モデルを検討する余地が無い中、直観に頼った政策提言を行わざるを得なかったそうである。今回の植田氏の研究論文は、金融危機のような非常に大きなマイナス・ショックの際に、金融機関を救済することにどのような意義があるかを経済理論的にきっちりと検討するためであり、今後のマクロ・プルーデンス政策の議論の礎になるものである。まさに、現実経済⇒経済理論⇒現実経済を目標とした研究姿勢である。
[研究報告内容]
植田氏の今回の経済理論モデルでは、各個人は資本を保有し、銀行家と生産者のどちらかを選択する。まずは、資本を用いて生産を行う生産者について考えてみる。生産者としての生産性については不確実性があり、個々の生産性は生産者という選択を選んだ後に初めて自分の生産性が高いのか低いのかが分るようになっている。そのため、事後的にしか判明しない生産性によって、個人の生産、すなわち所得も大きく左右されることになる。一般的に想定されるリスク回避的な個人がこのモデルでも考えられているので、この所得の変動が減少することで効用は大きく高まる。生産者間でリスク・シェアリングが出来ると良いのであるが、直接的な貸し借りは困難であると考えられる。
そこで、経済に銀行が存在することで、低い生産性しか保有しない生産者は、自ら生産することで得られるリターンよりも高い預金金利を得るために、銀行に自分の資本を預金する。一方、生産性の高い生産者は、自らの資本と銀行から融資を受けた資本の両方を用いて生産を行う。この生産者は、ローン金利を支払うことになるが、それよりも高い生産リターンが得られているので問題はない。ローン金利と預金金利の金利差によって、銀行家は所得を得られる。
ここまでだと、銀行の仲介業機能により、効率的な生産要素の再分配が行われ、経済全体の生産・所得が上昇し、各個人の効用も高まる。ローンを受けた生産者は確実に返済を行うので、融資を行った銀行も預金をした個人も確実に元利を受け取ることが出来る。しかし、この経済モデルにはもう一つの不確実性が導入されていて、生産開始後に景気循環とも呼ぶことのできる経済全体の(すなわち、生産者全員に同様の影響を与える)生産性の変動がある。プラスの変動の場合は問題が無いが、大きなマイナスの変動によって、生産性が大きく落ち込んだ場合には、融資を返済できなくなってしまう。(例えば、自己資本1000万円、融資1000万円を生産に向けたが、景気悪化のために500万円しか利益がでないようなケースである。) このような場合、銀行が債務者から一部の返済を受けたとしても、銀行も預金者への返済が出来なくなってしまう。大きなマイナス・ショックが生じた時、銀行の経営破綻をどのように処理すべきかを検討するのが、この研究論文の最も重要な目的である。
経営破綻処理に関しては、(講師略歴の注で説明した)costly state verificationの仮定の下では事後的な利害関係者間の調整にコストがかかりすぎるため、日本の民事再生法や米国のchapter 11に近い、経営破綻しても銀行は自己資本の一定割合を保全できるとするシンプルなルールの導入を考えます。この債務者の有限責任を想定する破綻処理の下では、当然の帰結ですが、本来預金者に返済されるべき資本が銀行内に残るわけですから、経済に大きなマイナス・ショックが生じた時には、預金者が大きな打撃を受けることになります。この状態をtail-risk dumping [tail-risk = 大きなマイナス・ショック、dumping=この場合は、「預金者に投げ棄てる」の意味]と呼び、論文のタイトルでも用いています。
植田氏は、このtail-risk dumpingの状態を改善させる施策として、銀行救済、預金保険、資本比率規制(バーゼル規制)等の政策候補を検討します。その結論として、透明な銀行救済(transparent bank bailout)と名付けた「金融危機の事後的に、全員(預金者・債務者・銀行)から同額の税金を集め、銀行に利益を供与しないように、全ての預金者に返済できる金額を銀行に拠出する」政策が、社会厚生を改善する最適な政策であることを示しています。興味深いのは、事前に措置する「預金保険」よりも、事後的に対応する「銀行救済」の方が経済にとって望ましい対応策であるという結果です。
以下の補足に示していますが、様々な前提条件の下にこの結論が得られていますので、モデルの前提条件が変わると異なる結果が得られる可能性もあります。(全ての理論モデルに当てはまることですが。) とはいえ、金融危機時おける「金融機関の救済の是非」、「金融機関救済の方法」についての議論のきっかけとなる理論モデルの提供も、この論文の貢献の一つでしょう。
[補足] 大胆な要約をしてみましたが、研究論文には11の仮定、15の補題、9の命題、4の系があり、様々な細かい点が取り上げられています。ここでは、テクニカルな部分の補足をしておきます。数多くの銀行がありますが、それぞれが融資金利と預金金利を設定できて、ゲーム論のナッシュ均衡として全ての銀行が同じ金利設定を選択します(第1命題)。経済における銀行家の比率に応じて、金利に加えて、債務不履行の閾値(いきち)も決まります(第4命題)。そもそもの銀行家の比率は、分権的な経済の下で唯一の解として決定されます(第5命題)。上記の説明では省略しましたが、不確実性に関しては、生産者の属性である生産前の生産性の変動に加えて、生産時に個々の生産者ごとに生じる生産性の変動も組み込まれています。そのため、個々の生産者は、自分の好調・不調と経済全体の好景気・不景気が混在した情報しか理解できない仕組みがあります。政府が銀行救済する際には、銀行からの情報を基に経済全体の不景気を正確に読み取り、その程度に応じた徴税・資金投入を行います。
(文責 ファイナンス学科教授 吉田裕司)
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