経済学部

彦根ゴーストツアー「黒と白の章」を開催しました。

 2016年1月9日(土)10日(日)  「彦根ゴーストツアー:黒と白の章」 が滋賀大学経済学部、彦根市産業部観光企画課および近江トラベル株式会社の協力で行われました。
 これは2011年9月20日経済学部で行われた、島根県立大学短期大学部教授・小泉八雲記念館顧問小泉凡先生による講演 「城下町で文化資源を生かす!:松江ゴーストツアーと造形美術展の取組から」 に触発され、産官学民が協力して行った着地型観光の第12弾です。
2011年12月、「彦根ゴーストツアー」の、企画・運営の核となる くう の旅人舎」 を経済学部教授真鍋晶子(代表)、経済経営研究所江竜美子、湖東湖北の文化資源を発掘する北風冩真舘代表杉原正樹さんの3人が立ち上げました。私たちは五感を最大限に用い、想像力と創造力を駆使して、土地のもつ文化・歴史資源から得ることのできる「見えないモノ」を「ゴースト」と位置づけ、それを感じ取り、未評価の文化を紡ごうとしています。

小泉凡先生による講演「一つ目小僧の文化史」  今回は「黒と白」をテーマとし、今までのツアーで人気あったスポットを黒と白をキーワードにめぐりました。東京、横浜、福井、岐阜からの10名の参加者がありました。ナビゲーターには、湖東湖北の歴史・民俗に詳しい長浜曳山博物館長の中島誠一先生を迎えました。

 1月9日(土)、まずは<白い>幽霊の絵に会いに、米原市清滝にある京極家の菩提寺の清瀧寺徳源院を尋ねました。時節柄美しい庭が雪で<白く>覆われていることを想定していたにもかかわらず、暖かい好天に恵まれた午後となり、白さは味わえませんでしたが、石と植物が見事な調和を見せる、山肌を生かした庭の美しさは圧巻でした。その庭を臨む書院において、山口光秀住職による、寺の謂われと京極家、佐々木氏についての話を伺い、続いて彦根ゴーストツアーの産みの父小泉凡先生より「一つ目小僧の文化史」と題した講演をして頂きました。今回の講演は、当初、別の内容の報告を予定されましたが、今回ツアーにおいて彦根の一つ目小僧の伝承地をめぐることもあり、急遽、この話題に変更して頂きました。
全国各地で広く伝承される妖怪「一つ目小僧」 一つ目小僧に関する柳田國男の仮説、『出雲国風土記』(733年)にみえる片目の鬼の話、鍛冶と片目、タタラ師と片目、片目の魚といった伝承などが取り上げられました。講演の冒頭、先生は先生と親交が深く、昨年急逝された水木しげる氏と昨年7月に最後に交流された時のことを、画像を示しながら、語られ、聴衆は水木先生に思いを巡らせました。
 その後、本堂に掛けられている清水節堂画「絹本淡彩幽霊図」を拝見しました。この絵は、幽霊が掛軸から抜け出る途中の様子を描いたもので、幽霊の背景に表具が透けて見え、風帯も風になびいて描かれています。表具自体も絵として描かれた「描表装(かきびょうそう)」の手法が使われ、西洋の遠近法の技法を取り入れた近代ならではの日本画とされ、幽霊画の傑作と評価されています。

佐和山の中腹にある大洞弁財天の経蔵  次に、バスで彦根市に戻り、彦根藩第四代城主直興が創建した長寿院大洞弁財天に<黒い>大黒天を尋ねました。まず、山中の経蔵に入り、岡田健三住職に一切経を見せて頂いたあと、参加者みなで輪蔵を廻しました。輪蔵を回すことで、収蔵されている文書を全て読んだことになるそうです。参加者みな、「図書館」の本を全て読んで、古来の知恵を身につけたことになります。その後、秘仏の約10,000体の大黒天と対面、その総大将ともいえる、日本への伝来当時のインドのマハーカーラの姿をした戦闘姿の甲冑大黒天も拝見しました。大黒天の原型マハーカーラは、日本の大黒様のふくよかで穏やか、人の良さそうな姿とは異なる恐ろしげな姿をしており、文化は伝播することで、受け入れ先の文化によって、原型とは異なるものに変化するということを実感しました。

経蔵のなかにある輪蔵をツアー参加者と廻す  さらに、本堂に移動。本堂横の鉄砲塔を見学しました。幼少から狩猟好きであった井伊直興が一羽の白い鶴を鉄砲で射ち落してしまい、鶴の足に金札が付いていたことから、500年前に行われた源頼朝の富士の大巻狩りの際の1000羽のうちの一羽ということがわかり、鶴のため供養塔を建てたということです。後に鉄砲塔と呼ばれることになったようです。

 大洞山をあとにして、バスは滋賀大学の裏の観音堂筋(北野寺を北に向かう通り)を通り、ここに出没した妖怪「一つ目小僧」と「白い馬の首」の話を、淡海妖怪学波代表でもある杉原正樹さんより聞きました。石田三成が佐和山城主だった頃、ここ長曽根村は刀鍛冶集団長曽根一族が住んでいた場所とされること、さきほどの小泉先生講演の一つ目小僧伝承のひとつである「鍛冶と片目」と符合することや、<白い>馬の首出没の地は、井伊家の家庭教師であった高橋敬吉による『彦根藩士族の歳時記』や「彦根御城下惣絵図」から、この場所であるとわかること等の紹介がありました。

神鳥仏壇店にて黒い馬ぐるまを見学  夕闇の中、バスは彦根市街を通り、七曲り(彦根仏壇通り)に到着。神鳥仏壇店(神鳥雅次郎商店)で<黒い>馬ぐるまと対面しました。4輪の車がついた台座に漆塗りの立派な馬が乗っています。神鳥さんによると、戦前の彦根の商家では、その店を継ぐ男子の誕生の際に限り、木製の馬ぐるまを母方から送る習慣があり、台座を曳いてお宮参りをしたそうです。五月の節句に人形を飾る習慣はない彦根では、その馬ぐるまが節句飾りとされました。神鳥さんも子どもの頃、この黒馬に乗って遊んだ記憶があるそうです。七曲りでは、現在でも神鳥仏壇店や西川家具店などに残っています。今回は特別に店内に飾って頂き、伝統的な彦根仏壇の輝きのなかで、黒い馬ぐるまを拝見しました。
 花しょうぶ通り「魚浩」で黒と白の魚料理  夕食は、花しょうぶ通りの魚浩で頂きました、魚料理のフルコースで、店主長田修二さんの創意工夫により、すべて白色と黒色に統一して作って頂きました。おいしく、そして面白く、ツアー参加者に好評でした。

黒壁スクエアにある長浜曳山博物館  2日目、1月17日(日)は、バスで一路、長浜市にある黒壁スクエアに向いました。<黒>壁スクエアにはナビゲーターの中島誠一先生が館長を務める長浜曳山博物館があります。ここは、ユネスコ無形文化遺産に登録予定の長浜曳山まつりの山車3基、常設されています。現在は、「企画展シリーズ干支 申(さる)」が行なわれており、中島先生より説明を受けました。
片山旭星師による琵琶の弾き語り「仏法僧」 その後、館内の伝承スタジオにて片山旭星師よりこのツアーのために作って頂いた筑前琵琶の弾き語り「仏法僧」(上田秋成原作)を演られました。演奏前の琵琶についてのレクチャーにより、琵琶についての知識が増しました。また、京都の木屋町三条下がるにある瑞泉寺に秀次一族が埋葬されていることを演奏後紹介されたことで、演奏内容がさらに現実味を帯びました。
 ランチは黒壁スクエア内のキャラメルパパで。黒と白ごまのキノコのパスタや、黒と白のデザートなどを頂きました。

長久寺にてお菊の墓にお参り  午後から彦根市に戻り、後三条町の長久寺へ。長久寺のお菊伝説「番町皿屋敷」は、皿が残っていること、寛文4年(1664年)の実説であることで有名です。松山貞邦住職より、寺の説明を伺ったあと、今回のツアーのために特別に<白い>皿を拝見しました。乳白色でなめらかな磁器は、徳川家康から関ヶ原合戦の功績で井伊直政が拝領し、その後、大阪冬の陣の功績で孕石家が拝領したものとされています。お菊伝説に勝るとも劣らず、その皿の来歴が興味深く、その話をとりいれた旭堂南海師の講談に、一同、引き込まれました。
旭堂南海師による講談「番町皿屋敷」
南海師は、彦根ゴーストツアー初回の皮切り企画であった、ここ長久寺での講談以来、欠かせない存在となり、毎回、その卓越した芸で、事実(史実)と虚構の狭間のような異空間に参加者を誘われます。参加者はみな、時に恐怖し、時に心の底から笑い、知も情も最大限に楽しまさせてもらえます。

 今回も2日間、ゴースト「黒と白」を求めて各地を歩き周りました。五感をもちいて想像力・創造力を研ぎすますと、何かに出逢える、何かが生まれて来るということを実感できたと思います。ゲストのみなさん、参加されたみなさん、関わっていただいた全ての方々、ありがとうございました。

経済学部教授 真鍋晶子
経済経営研究所 江竜美子