経済学部

彦根ゴーストツアー「鬼の残滓を巡るの章」を開催しました。

 2015年1月31日(土)2月1日(日) 「彦根ゴーストツアー:鬼の残滓を巡るの章」 が 滋賀大学経済学部および彦根市観光振興課と彦根観光協会の協力で行われました。
 これは2011年9月20日経済学部で行われた、島根県立大学教授・小泉八雲記念館顧問小泉凡先生による講演 「城下町で文化資源を生かす!:松江ゴーストツアーと造形美術展の取組から」 の内容に触発され、産官学が協力して成立したツアーの第10弾です。
 企画・運営の核となるべく くう の旅人舎」 を経済学部教授真鍋晶子が代表の形で、経済経営研究所江竜美子、湖東湖北の文化資源を発掘されている北風冩真舘代表杉原正樹さんの3人で立ち上げました。 私たちは五感を最大限に用い、想像力と創造力を駆使して、土地のもつ文化・歴史的資源から得ることのできる「見えないモノ」を「ゴースト」と位置づけ、それらを感じ取り、未評価の文化を紡ごうとしています。
 今回は節分を前に「鬼」をテーマとし、湖東湖北の鬼にまつわる伝承の地を訪ね、鬼にまつわる話を聞き、鬼にまつわる食べ物を頂きました。 また、ナビゲーターには、湖東湖北の歴史・民俗に詳しい長浜曳山博物館長の中島誠一先生をお迎えしました。

芦柄神社の土俵を見学  1月31日(土)粉雪の舞うなか、JR彦根駅東口に集合。貸切バスで、金太郎伝説の地、長浜市西黒田に向かいました。金太郎は、平安時代中期、天暦9(955)年に近江国坂田郡布勢郷で、当時この地に勢力のあった息長(おきなが)氏の一族として生まれたといわれています。 金太郎は西黒田の里山を駆け育ち、足柄神社の奉納相撲にも出向き見事な力を発揮したといいます。西黒田周辺には足柄神社が現在も四社残り、 そのうちの一社、芦柄(あしがら)神社と土俵を見学しました。

山照津神社の大岩より近江平野を一望  当時この地は製鉄業が盛んで、青年となった金太郎は鍛冶屋で働くことになり、「金の文字の描いた腹掛け」「赤い肌」「鉞(まさかり)」のイメージが生まれたといいます。 (鍛冶屋が集まっていた長浜市布勢町の通りを雪の晴れ間に歩いて見学。)20歳となった金太郎は、天延4(976)年、旧暦3月21日、上総守の任期を終え黒田海道を上京中の源頼光の目に留まり、家来となります。 上京後、金太郎は名を坂田金時と改め、頼光のもと様々な手柄をたててゆき、正暦5(994)年、ついに金太郎が住んでいた村の人々を苦しめている、伊吹山の「鬼」、酒呑童子を退治し、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光とともに、頼光の四天王と称されるまでになったということです。
 長浜をあとにし、次に向かったのは、奈良時代に息長氏を祀って創建された山照津神社(米原市野登瀬)。ここでも中島誠一先生より説明を聞き、社がすべて岩盤の上に建つ不思議な空間を味わいました。
 さらに、神功皇后(息長帯比売命)が新羅との戦いのお礼として建立した日撫神社(米原市顔戸)も見学。
ナビゲーター中島誠一先生による解説  この日は、多賀町にある「多賀里の駅・一圓屋敷」で、中島誠一先生による「近江古製鉄と鬼」と題した講演で締めくくりました。湖北には鉄製造を示すタタラ・伊吹、刃金の材料であるケラ、残鉄であるカナクソなど、 製鉄に関係が深いと思われる地名が残っており、製鉄に関わった人たちがその厳しい労働により異形の様相となり、それがオニやテングという言い方で恐れられたとも考えられる、とのことです。
農家レストラン「多賀里の駅」の鹿肉のロースト  その後、ここで夕食を頂きました。多賀里の駅は、「多賀クラブ」という多賀町の女性グループにより、農家レストランを運営しています。この日は、鬼にちなんだ3種盛のほか、多賀で採れた「冬の蒸野菜」や「鹿肉のロースト」を味わいました。
「多賀里の駅」にて、オニバス彦鬼くん その途中、ゆるキャラのオニバス彦鬼(げんき)くんが登場。カメラのフラッシュの嵐となりました。オニバスは彦根城の堀にかつて繁茂していたハスです。 葉に鬼の角のようなトゲがあります。

玉泉寺のお大師さんの産湯井戸の前で  2日目は雪景色となりました。昨日の山々の美しい雪化粧に喜んでおられた東京、大阪、愛知など県外からの参加者は、大雪の兆候に愕然。ホテルよりバスは一路、長浜市三川(みかわ)町にある玉泉寺をめざしました。 玉泉寺は、「おみくじ」の元祖元三大師とも呼ばれる良源の誕生地に建立された寺です。元三大師は鬼の姿になって疫病神を追い払ったとされます。 本堂内では、お寺を守ってこられた元教育委員会の方や地域の方々の説明により、彦根藩藩主寄進の墨書のある棟木や、元祖おみくじの箱などを見学しました。

玉泉寺の元祖おみくじの箱  その後、近くの虎姫時遊館で、一人ずつ古い版木の印刷によるおみくじ(第一~第百)を引きました。さらに中島誠一先生による講演「鬼と魔除け」が続きます。
 この地(旧虎姫町)からは晴れた日には、雪を頂いた伊吹山が一望できますが、この日は吹雪の荒れ模様。伊吹山の前には鉛色の空が広がっていました。

四番町スクエアの「あ・桜」の「赤鬼丼」  吹雪のなかをバスは彦根に戻り、昼食となりました。昼食は四番町スクエア内にある「あ・桜」で「赤鬼丼」を頂きました。「赤鬼丼」は、彦根市市制75周年に誕生したご当地グルメ「彦根丼」をアレンジしたものです。 牛すじ煮込み、赤こんにゃくなど入った見目麗しい丼。「井伊の赤鬼」井伊直政を連想しました。

松本薫師による「狂言の鬼」の講演  昼食後、夢京橋キャッスルロードにある宗安寺で、住職の解説により「十王図」を拝観。その後、シテ方観世流能楽師の吉浪壽晃師と大蔵流狂言師の松本薫師による「能・狂言の鬼」の講演がありました。 能楽師、狂言師として実際舞台で「鬼」を演じられた経験に基づくお話、「鬼」を演ずるにあたって、「鬼とは何か」について追求されたことに基づくお話は、二日間「鬼」について様々な角度でアプローチして来た最後に、さらに多義性を加えていただける貴重な機会となりました。
吉浪壽晃師による「能の鬼」の講演 吉浪師自身が鬼を演じられた曲のスライドや、10種類の能面の現物を目の当たりにし、その迫力に、参加者から質問がたくさん寄せられました。そのひとつひとつを、お二人は丁寧に応えて頂きました。
 その後、今回の癒し系キャラの第2弾、「鍾馗さん」(しょうきさん)を探しに夢京橋界隈に出かけました。『鍾馗さんMAP』を作成した鈴木達也さん(まち遺産ネットひこね)が案内して下さいました。 鍾馗さんとは、中国からやってきた道教の神ですが、このあたりでは瓦で作り、屋根の上に乗せて魔除けとしています。その姿はたいへんかわいらしく、寒風のなかに立つ姿はまさに、屋根の上の守り神でした。

 今回も2日間、ゴーストを探して(今回は鬼でしたが)各地を歩きました。五感をもちいて想像力・創造力を研ぎすますと、何かが生まれて来ることを実感し、自然と文化、そのなかにおける人間の役割や位置について深く考察することのできる2日間となりました。 講師のみなさん、参加されたみなさん、関わっていただいた全ての方々、ありがとうございました。

経済学部教授 真鍋晶子
経済経営研究所 江竜美子