経済学部

【報告】彦根ゴーストツアー「白い狐の章」を開催しました。

狂言『釣狐』発祥の地 勝楽寺  2012年11月10日(土)11日(日)「彦根ゴーストツアー:白い狐の章」が滋賀大学経済学部および彦根市の協力で挙行されました。これは2011年9月20日経済学部で行われた、島根県立大学教授・小泉八雲記念館顧問小泉凡先生による講演 「城下町で文化資源を生かす!:松江ゴーストツアーと造形美術展の取組から」 の内容に触発され滋賀大学経済学部、彦根市産業部観光振興課、彦根市民が協力して企画、「びわ湖・近江路観光圏」の補助金を得て、成立したツアーの第五弾です。企画・運営の核となるべく 「空(くう)の旅人舎」 を私が代表の形で、経済経営研究所の江竜美子さん、湖東湖北の文化資源を発掘されている北風冩真舘代表杉原正樹さんの三人で立ち上げました。私たちは五感を最大限に用い、想像力と創造力を駆使して、土地のもつ文化・歴史的資源から得ることのできる「見えないモノ」を「ゴースト」と位置づけ、それらを感じ取り、未評価の文化を紡ごうとしてきています。さて、ツアーを計画した最初から狂言『釣狐』発祥の地、勝楽寺でこの大曲を体験するということが夢でした。今回ついに彦根市、甲良町勝楽寺、そして、大蔵流狂言茂山千五郎家の協力により実現でき、こんなにうれしいことはありません。これまでは一泊二日のツアーでしたが、今回は、一泊二日の参加者に加えて、日帰りで勝楽寺および周辺を巡り狂言を見る日帰りツアー、狂言鑑賞のみの参加と三種類を用意し、全国から50名以上の参加者を得ました。

茂山家による狂言『竹生島参』  10日(土)午前彦根駅集合。バスに乗って、秋のやわらかで暖かい日差しのもと、田園風景を楽しみつつ勝楽寺に到着。企画段階から関わって下さった大蔵流狂言師松本薫師が広島から合流して下さいました。参加人数が多いため、2班に分かれ、婆娑羅大名佐々木道誉の勝楽寺城址中腹に存在する狐塚を訪れるグループと奥山慶道住職のお話を伺いつつ道誉の墓や境内を巡るグループを、入れ替えて、狂言の背景や場所の持つ特別な感覚を実感しました。 1960 年に茂山七五三師(現、四世千作師)と故二世千之丞師の兄弟が勝楽寺で『釣狐』を奉納されたときの写真を、記念写真を撮りに来られていた彦根市シブヤ写真館の渋谷博さんのご好意で貸していただいたものも鑑賞し、50年前のこの場も見ることが出来ました。 暖かく天候に恵まれた昼でしたので、境内の様々な場所に分かれて、彦根市内の業者が工夫して作って下さった「狐づくし」弁当をいただいた後、本堂に会し、奥山住職から寺の来歴や道誉の話などをうかがいました。 その後、近江妖怪学波杉原正樹さんの講演で聖なるものに関してより理解を深め、さらに、松本薫師に、狂言とは何かということ、『釣狐』とはどのような曲かということを専門的かつ分かりやすくお話いただきました。 参加者は狂言の笑いも伝授してもらい、楽しく学ぶことができました。続いて、琵琶湖に浮かぶ聖なる弁財天の島と動物に関わる狂言『竹生島参』という今回のツアーとの結びつきが強く感じられる番組が、松本師と丸石やすし師によって演じられることで、狂言の世界に導かれたところで『釣狐』です。 狂言の世界で「猿に始まり狐に終わる」と言われるように、シテに技術的にも精神的にも高度なものが要求されます。また、シテを受け止めるアドの重要さも並大抵のものではありません。

茂山正邦師と茂師の兄弟による『釣狐』 それを茂山正邦師と茂師の兄弟(1960年のシテの孫兄弟)が迫力満点の卓越した芸で我々の目の前で披露して下さいました。張りつめた緊張感に満ちた空気、と同時に笑いも引き出されます、狐の「ぬいぐるみ」の上に僧侶の装束を身に着け、狐が化けている様に演じられる巧みな芸、狐として飛び跳ねられる姿などなどから、それぞれの参加者がそれぞれに感じ取り考えていただけることが満点だったと思います。目の当たりで見る、最上の狂言というものすごく贅沢な時間となりました。 多くを満ち足りた秋の一日を勝楽寺で過ごした後、一泊二日組のみNPO法人彦根景観フォーラム所有の江戸時代の庄屋の家、一圓屋敷(多賀里の駅)に移動。フォーラム理事長の山崎一眞先生に一圓屋敷について詳しく説明いただきました。多賀クラブの方々が、地元の食材を工夫して作って下さった夕食を、松本薫師を囲んで楽しみました。さらに、秋の夜の締めくくりに、NPO芹川、彦根昔話を語る会の川崎敦子さん中野啓子さんによる語りを聞かせてもらいました。川崎さんは『釣狐』の元になった勝楽寺の璞蔵主と狐のお話を語って下さったので、違う形で『釣狐』を味わいなおすことができました。その後、バスで彦根市内のホテルに戻り、一日を終えました。

料亭「樋口山」にて鱒料理の話を聞く  11日(日)朝からバスで米原市番場の蓮華寺へ。聖徳太子により建てられた古刹ですので、寺自体や境内、また裏山のもつ力も強く感じられるのですが、我々にとっては、前日の佐々木道誉の関連で意味をもつ場でした。足利尊氏の寝返りにあい鎌倉へ落ち延びる途中、道誉に阻まれた北条仲時以下432名がここで自害、彼らをこの寺の住職が葬ったという謂れがあるのです。今も血の川の跡が残っています。土曜とは打って変わって、冷たい雨が激しく降るなか、墓のある山を檀家の方々の説明を聞きながら歩き、澤田眞弘執事長や近くの龍沢寺石野明寛住職に寺や宝物の説明をいただきました。さて、この自害した人々は6歳から60歳にわたるのですが、なかには若くて命を失った人が多くいました。その名が書かれた過去帳(重要文化財)が寺には残されていますが、その過去帳を見た長谷川伸が若い人が多いことに心を痛め、自害した子どものことを思う母の気持ちを思い戯曲『瞼の母』を書きました。本堂で、旭堂南海師がその主人公についての新作を作られた講談『番場の忠太郎』を聞きました。外では雷雨、本堂では迫力ある南海師の講談、ものすごい力が感じられました。心が打たれ、思わず目頭が熱くなる参加者も多かったと思われます。毎回南海師の講談から感動しながら学べることがとても多いです。これで、ツアー2日で3種類の異なった「語り」を体験したことになります。

旭堂南海師による講談『番場の忠太郎』 その後、バスで米原市醒井へ移動、江戸時代の中山道醒井宿の本陣跡「樋口山」で鱒づくしの昼食。本陣跡だけに関札など、歴史を生で感じられる「物」があり、そこでご主人鹿取定幸氏が鱒についてはもちろんのこと、場所の歴史を語って下さいましたので、場所の意味が深まりました。

大通寺参道のお花狐の像の前で 午後は長浜に移動し、お花狐の謂れをもつ長浜別院大通寺をボランティアガイド上野英子さんのお話を聞きながら、体験しました。参道にあるお花狐の像を見た後、伏見桃山城や長浜城の遺構が使われ、狩野家や円山応挙の手による画もある寺へ。我々の興味の中心は大通寺移転問題の際に大活躍したお花狐が住んでいた大広間の天井でした。そして、お花狐に油揚げを供える為の梯子を確認して、私たちの今回のツアーは終わりました。冷たい雨の日に大きな寺を歩き、梯子に至った時には体中芯から冷えきっていましたが、心の中は興奮で熱くなりました。
 滋賀大学関係者、彦根市、甲良町、米原市、長浜市の方々、茂山家のみなさん、旭堂南海師のご協力のもと、今回も生きた学びの場となりました。毎回、ご協力頂いている皆さん、今回新しく協力して下さった皆さんの特別なお心づくしのおかげで、ますます、豊かなツアーになってきていること、心から感謝しております。
経済学部教授真鍋晶子