【報告】彦根ゴーストツアー「ゆーれーの章」を開催しました。
2012年9月8日(土)9日(日)「彦根ゴーストツアー:ゆーれーの章」が滋賀大学経済学部および彦根市の協力で挙行されました。これは2011年9月20日経済学部で行われた、島根県立大学教授・小泉八雲記念館顧問小泉凡先生による講演
「城下町で文化資源を生かす!:松江ゴーストツアーと造形美術展の取組から」
の内容に触発され滋賀大学経済学部、彦根市産業部観光振興課、彦根市民が協力して企画、「びわ湖・近江路観光圏」の補助金を得て、成立したツアーの第四弾です。企画の核となるべく
「空(くう)の旅人舎」
を私が代表の形で、経済経営研究所の江竜美子さん、湖東湖北の文化資源を発掘されている北風冩真舘代表杉原正樹さんの三人で立ち上げました。私たちは五感を最大限に用い、想像力と創造力を駆使して、土地のもつ文化・歴史的資源から得ることのできる「見えないモノ」を「ゴースト」と位置づけ、それらを感じ取り、未評価の文化を紡ごうとしてきています。 「幽霊」と「ゴースト」は敢えて結びつけていなかった私たちが今回とうとう「ゆーれー」を軸に、彦根市、近江八幡市、多賀町、米原市の方々の協力により巡ることにし、ツアーには20名ほどの参加者を得ました。
8日(土)午前彦根駅集合。バスに乗って、黄金色に輝く稲穂のなか湖岸を南下、堀切港から乗船し近江八幡市沖島に向かいました。船長のはからいで伊崎の竿飛びの現場を湖から近くで見、延暦寺の修行の話を聞きながら、沖島の港に着きました。浄土真宗本願寺派掛蔦山西福寺住職の長男のお迎えでお寺まで散策。寺で、朝水揚げされたばかりの魚と畑で取られたばかりの野菜を使って沖島漁連の女性たちが作られた弁当をいただきました。琵琶湖にしか存在しない魚の話を聞きながら、食と文化と歴史が息づくことを実感。
その後、茶谷文雄落住職が沖島および西福寺の歴史を古代から今日まで語られた上で、寺所有の幽霊画を説明下さいました。浄土真宗の教義で幽霊はあってはならないにも拘わらず、赤子を残して亡くなったために幽霊として現れた母親の愛情と蓮如による救済の話は認められているのだそうです。幽霊画、蓮如の書、『蓮如上人幽霊済度の虎班之御名号御絵伝』を目の前に話して下さいました。(この幽霊譚は茶谷住職の先祖の話です。) さらに、最近発見された新たな幽霊画や、『御絵伝』の貴重な原画を出して下さいました。寺を出て、島の資料館を見学した後、住職の話にあった、琵琶湖疎水や逢坂山トンネルを造った石が切り出され明治の近代化に貢献した石切場に行くグループと、島独特の町並みを歩いて廃校になりそうな幼稚園と小学校まで散策するグループに分かれ沖島の歴史と生活を感じました。離島振興法が湖の島にも適用されることになり、日本で唯一湖の島に住民のいる沖島の人々の生活が便利になるのは望ましいことだと思うものの、今の穏やかでゆったりした時と空気は何時まで続いて欲しいと余所者のわがままな想いがよぎりました。
船で堀切に戻り、バスでNPO法人彦根景観フォーラム所有の江戸時代の庄屋の家、一圓屋敷(多賀里の駅)に移動。江戸時代以来の芸術作品が調度品として使用されている一圓屋敷を見学後、多賀クラブの方々が、地元の食材(野菜や鹿)を工夫して作って下さった夕食を楽しみました。夜の闇が屋敷を覆うにつれ虫の声が強くなるなか、蔵に漆黒の闇体験。また、淡海妖怪学波杉原正樹さんや近江屋ツアーセンター北川重明さんの妖怪話を聞いた後、バスで彦根市内のホテルに戻り、一日を終えました。
9日(日)朝からバスで彦根市内宗安寺へ。佐和山城から移築された赤門や木村重成の首塚など境内を散策した後、石田三成の念持仏である石田地蔵尊、千体仏や一光三尊という珍しい善光寺阿弥陀仏、宇賀神を頭に抱く弁天像などが側にならべられた部屋で、竹内眞道住職から宗安寺の歴史、朝鮮通信使の話などを伺いました。また、今回のツアーのために出して下さった宗安寺所蔵の幽霊画も見せていただき、説明を聞きました。『源氏物語』で正妻葵上を生霊となってのろい殺した六条御息所をモデルとしたと言われる上村松園の『焔』を模写した幽霊画は、供養のために宗安寺に持ちこまれたもので、美しくも怖いものでした。 |
その前で、講談師旭堂南海師が江戸時代の船場の骨董屋を舞台にご自身で新作の幽霊譚を作られたものを楽しみました。講談とはのご説明、幽霊を扱った講談を行うときのきまりなど、面白おかしく語って下さった後での講談、人間の心理の奥底をえぐり出すもので、参加者の表情は明るい笑いから、悪役の人間への怒り、不条理な扱いを受けて亡くなった女性への悲しみと恨み、昨日の西福寺の幽霊と同じく母の愛情への感動を示して変化していきました。その後、花しょうぶ通り「魚浩」にバス移動、これまで毎回ツアーのテーマに合わした夕食を作って下さっていた主人長田さんの、今回はお得意定番の昼食をいただき、その後、花しょうぶ通りを思い思いに散策しました。午後は、くっきりした日差しのなか、バスで米原市清龍寺徳源院に移動。国道から脇道に入った途端に緑豊かな地域に入り、中山道の柏原宿を横切り、徳源院に到着。ここは京極氏の菩提寺で、江戸時代初期の見事な庭園を一望するお部屋で、山口光秀住職による佐々木・京極氏の歴史について宇多天皇の時代から語っていただきました。短い時間に生き生きとポイントを語られたおかげで、京極氏が日本の歴史の節目節目でいかに重要な働きをしたのかが、非常に明確に私たちに伝わってきました。 その後、やはり供養のためにこの寺に持ちこまれた幽霊画を見学しました。これは、明治から昭和20年代まで日本画を多々生み出した長浜出身の清水節堂による『絹本淡彩 幽霊図』で、表具自体も描き込まれた「描表装(かきびょうそう)」という特殊な手法のために上半身が絵から出てきていて、下半身が抜け出んとしているところがとらえられ、三次元的にリアルさを生み出しているものです。また京極氏の当主の木彫りの像が入れられている独特の位牌堂を見学。
その後、小泉凡先生に「人生とゆーれー~小泉八雲の場合~」を講演いただきました。ハーンにとって幽霊と妖怪(お化け)がどう異なっていたかということや、彼には幼い頃から見えないものを感じる力があり、それを見る力が彼の一生にいかに重要であったかを貴重な画像とともに語っていただき、我々のツアーの原点をもう一度見直す機会となりました。ハーンは日本の幽霊の話に人間の愛・美しさを見、日本の心を写していると見ていたのだそうです。幼い頃のアイルランドの乳母に始まり、アメリカ、マルティニック、日本と「語り部」たる女性との出逢いの彼の心の軌跡にとっての意味も改めて感じさせていただけました。その後、イジー・バルタ監督による最新のチェコアニメ『雪女』を見せていただきました。先生の講演のなかでも、『怪談』が様々な言語に翻訳されていることを紹介されたのですが、ハーンの作品が様々な国の様々な芸術家の心を刺激して新しい作品が生み出されて、ハーンのゴーストが時と空間を超えて、新しく息づいていくことをこの映画に実感しました。ハーンが言うように、「ゴーストは私たちに生きる目的、自然を畏怖することを」感じさせてくれる2日でした。
滋賀大学関係者、彦根市、近江八幡市、米原市、多賀町の方々のご協力のもと、滋賀県内だけではなく他の都府県からの参加者と意見交換を行いつつ学ぶことのできる、生きた学びの場となりました。毎回、ご協力頂いている皆さん、今回新しく協力して下さった皆さんの特別なお心づくしのおかげで、ますます、ゆたかなツアーになってきていること、心から感謝しております。