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研究会 崔誠姫さんの『近代朝鮮の中等教育』(晃洋書房・2019年)を読む

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日時: 2023年627日(火)123014:00

論題:崔誠姫さんの『近代朝鮮の中等教育』(晃洋書房・2019年)を読む

報告者: 阿部安成(本学部教員)

コメント: 崔誠姫(大阪産業大学国際学部准教授)

開催方式: 対面とZoomの併催

場所: 研究工房(総合研究棟〈士魂商才館〉1階)


講演報告

 研究会「崔誠姫さんの『近代朝鮮の中等教育』(晃洋書房・2019年)を読む」では、教育史の専門訓練を受けていない身ながらも、高等商業学校史研究をすすめてゆくために不可欠な文献として議論の対象とさせていただいた。

 おおきく序章、第Ⅰ部、第Ⅱ部、終章に分かれ、1920年代から1930年代にかけての中等教育学校として高等普通学校と女子高等普通学校をとりあげる本書は、第Ⅰ部において同校の設立、同校への進学(入学)、授業と教科書、卒業後の進路をたどった労作であり、きちんと史資料への言及(序章第3(2))も欠かさない好著である。あえて引きあいに出せば、高等商業学校史研究における初めての単著といえる長廣利崇『高等商業学校の経営史―学校と企業・国家』(有斐閣、2017年)は、高等商業学校史料をめぐる現状への言及はなく、おおよそ引用された史料にかぎって、それがあるとわかるにすぎない。高等商業学校史料は、その残りぐあいに偏りがあるため、高等商業学校史研究においてはその史料をめぐる議論が不可欠であると考えるわたしには、崔さんの「本書の課題と使用する史資料」とをならべて論じる姿勢が好ましかった。

 高等商業学校史研究において「帝国高等商業学校」との観点をもうけるわたし(たち)にとっては、崔さんが提示した「植民地教育」の術語の活かし方を考えることが、わたし(たち)にふさわしい本書の読み方であるととらえた。

 「近代化と植民地支配とが常に介在する場」としての「教育」のもとで(p.5)、「総督府の政策が集約された場であり、政策を立案した個の思惑を実現するための場でもあった。」「学校」において(p.5)、「植民地の「葛藤」を抱えた存在」(p.6)「植民地の矛盾をあらわす存在」(p.327)である生徒をとりまく知とその実践技法が、「植民地教育」の謂なのである。この「植民地教育」と、1938年の第3次教育令以降を「同化教育」としてを区別するとの発言が崔さんからあった。わたしは、この「植民地教育」の術語をよりひろくとらえ、植民地を前提として-植民地を得て、初めて/漸く、機能する教育であり、出自や生存を異にする多種多様の存在を一元化された企図(たとえば産業化)にむけて馴致しつつ、つねにそこからはみでる異質をつくりだす技法として教育がある、と示した。そうしたところ、では、それは「帝国教育」とは同じなのか違うのか、どう考えるのかとの言があった。

 「帝国主義」と「植民地主義」とは、おおよそ指し示す事態も歴史と現状を考えるさいの枠組みも、同じといってよいだろう。「帝国高等商業学校」史研究も「近代朝鮮の中等教育」史研究も、当然のことながら帝国や植民地の考え方を更新する必要があり、それとともに、それにみあう適確な材料(フィールド)をみつけてゆく努めが欠かせない。 (阿部安成)

                            


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