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本学名誉教授の酒井泰弘先生の著書が刊行されました。

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  • 著書名:J.M. Keynes Versus F.H. Knight: Risk, Probability, and Uncertainty

  • 和訳:J.M.ケインズ対F.H.ナイト―リスク、蓋然性および不確実性-

  • 著者: 酒井 泰弘(滋賀大学名誉教授)

  • シリーズ:Evolutionary Economics and Social Complexity,Volume 18

  • 出版社:Springer Singapore

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【執筆背景】

今から3年ほど前の白梅の咲く時節だったであろうか。Springer Japanの編集部より、突然だが丁重な御勧誘を頂いた。「この度、進化・複雑性経済学の分野で英文の著作シリーズを積極的に出版する予定でおります。それで、酒井泰弘教授には、御専門の不確実性関係の英文単著を是非ご執筆賜りたいと願っております。ただし、国際基準に従いまして、レフェリー審査システムを採用しますことを御了承ください」私はここ数十年のあいだ、リスク・蓋然性・不確実性をテーマとする幾多の日本語・英語論文を書き続けている。しかも、レフェリー審査などの編集手続きには、既に十分な経験を積んでいると信じている。そこで文字通り二つ返事で、「了解いたしました。こちらこそ宜しく御願い致します」というメールを先方に送り返した。好きな英語の言葉の一つとして、"Life is a challenge. Life is an adventure"というのがある。「私の人生は一つだ。折角のチャンスなので、年齢のことは暫く忘れて、積極的に挑戦し冒険してみよう」という気になったわけである。

 さて、不確実性関係の著作を書くとして、一体全体どういうテーマを取り扱うべきだろうか。瞬時に私の脳裏に閃いたのは、今からほぼ100年前の1921年、ケインズ(J.M. Keynes)とF.H.ナイト(F.H. Knight)という二人の巨人が、同様なテーマで大変な意欲作を世に送り出していることだ。一方において、若きケインズの切れ味鋭い野心作『蓋然性論』(A Treatise on Probability)は、人によっては「全く歯が立たない」と揶揄されるほどの「難解な名著」である。他方において、同時代人のナイトの意欲作『リスク、不確実性および利潤』 (Risk, Uncertainty and Profit)は、「いかにもドイツ語風で、ゴツゴツした言い回しが大変気に懸る」と酷評されている「難解な悪書」である。   

 私の学生時代には(1960年代)日本はまだまだ貧しく、「1ドル=360円、外貨持ち出し300ドル」という惨めな状態であった。「資本主義と社会主義、どちらを選ぶか」というような体制選択問題が、熱血学生たちの間で日夜論じられていた。そこで神戸の学部時代には、ケインズの英語原著『雇用、利子、および貨幣の一般理論』(The General Theory of Employment, Interest and Money とマルクス(Karl Marx)のドイツ語原著『資本論』(Das Kapital)の両著をウンウン唸りながら比較熟読した。大学院時代には、幸いにもブロンフェンブレナー(Martin Bronfenbrenner)教授による「所得分配論特殊講義』(Income Distribution Theory)を拝聴することができ、そのとき初めて(同教授の師である)ナイトの上述の大著『リスク、不確実性および利潤』(Risk, Uncertainty and Profitの存在と重要性を知ることができた。

 こういう個人的事情もあるので、私自身は生涯の何時かは「ケインズ対ナイト」というテーマで、不確実性の経済学に関する英文著作を世に送りたいとかねがね考えていた。今回、定評あるスプリンガー社の御推挙によって、私の念願を漸く果たすことができた。まさに、「人間万事、塞翁が馬」というべきであろうか。

【内容要約】

 本書は比較的コンパクトな書物であり、具体的には「二部、八章」から構成されている。第一部は最初の4章からなり、「歴史と意思決定」(History and Decision)が取り扱われる。

 冒頭の第1章において、私のこれまでの人生航路や仕事自体が、ケインズおよびナイトの存在によって如何に影響を受けてきたかを説明する。ケインズに好意的な重鎮ガルブレイスは、1977年出版の話題作『不確実性の時代』( The Age of Uncertainty )の中で、幾多の経済思想の乱立と混迷状態に注意を喚起し、学問としての経済学自体の「不確実性・曖昧性」を鋭く指摘した。ケインズやナイトからの影響を受けたサミュエルソンは、有名な入門教科書の中で「アメリカ対ソ連間の経済競争」を積極的に取り上げた。その後1990年代には、「社会主義に対する資本主義の優位性」が、一見したところ確定されたように見えた。だが、歴史は人を欺くものであり、爾後の歴史的展開はそういった短絡的結論に対して重大な疑問を呈するようになった。実際、2008年の「リーマン・ショック」は「資本主義自体の失敗」を白日の下に晒すことなり、我々は今や「第二の不確実性の時代」に直面していると見做してよいのだ。そして、「第二のケインズや第二のナイト」の出現が切に待ち望まれている次第である。

 第2章は、いわゆる「リスクと不確実性の経済学」の成立および展開を取り扱う。これは従来において殆ど議論されていない分野であるが、私は思い切って「六段階分析」を採用することにする。第一段階は1700年頃までの「草創時代」である。パスカルやフェルマーによって統計学が確立した反面、学問としての経済理論はまだまだ未熟の水準にあった。第二段階は1700年頃以降1880年頃に至る時期である。ベルヌイの期待効用理論やアダム・スミスによるリスク心理分析によって代表される「B-A時代」である。第三段階は1880年頃から1940年頃に至る一大発展期である。ケインズやナイトの「イニシアル」を合わせて「K-K時代」とも称されよう。第四段階は1940年頃から1970年頃に至る展開期である。フォン・ノイマンやモルゲンシュテルンによるゲーム理論の発展が目覚ましい「NーM時代」である。第五段階は、1970年頃から2000年頃までの、不完全情報の経済学の新発展期である。代表選手はアロー、アカロフ、スペンス、スティグリッツであるので、これを「A-S時代」と形容してもよかろう。最後の第六段階は2000年頃以降の(新規の)「不確実性時代」である。ピケティなどの新進気鋭の業績が見られるものの、今後の展開方向は未だ不確実な状況下にある。

 第3章は本書の中核部分の一つである。ケインズによる捕捉不可能な蓋然性理論と、ナイトの測定不可能な不確実性理論とが注意深く比較分析される。ケインズによる株価決定の「美人投票仮説」は、山本七平による「空気の研究」に連なるものとして、今後の一層の実証研究が待たれている。そして、第4章はかの「ペンタゴン秘密文書事件」に深く関与した社会心理学者エルズバーグによる「曖昧性」(ambiguity)理論について、自分流に現代展開したものである。そのために、温故知新よろしく、「区間確率」(interval probability)なる概念を新しく展開応用し、殆んど忘却の淵にあったケインズ概念を現代に復活させることを試みる。

 第二部は、「マクロと応用」(macro and application)論じる。具体的には、次のごとき4章から構成されている。

 第5章は、ケインズ体系の基盤を成す「非自発的失業」(involuntary unemployment)の概念に焦点を合わせ、そのうえで「不自発的雇用」(involuntary employment)という似て非なる新規概念との関連性を問題にする。後者の分析によって、非正規雇用・パート・非常勤勤務など、「生きるため不本意ながら働かざるを得ない《半失業者》」の存在を白日の下に晒す。思うに、これは元祖ケインズの倫理観や哲人ナイトの正義感に強く訴えるものであろう。第6章では、ナイト体系の中心概念である「不確実性と利潤との不可分関係」が体系的・分析的に論じられる。ナイトによれば、日常業務をルーティーン的にこなす「経営者」(manager)と、リスクを恐れず新規企画を果敢に実行する「企業家」(entrepreneur)との区別は死活の重要性を持つ。「不確実性なくして、利潤も企業家もなく、資本主義の存続基盤なし」と断じるナイトの言葉は、21世紀の人間社会のあり方に対して重大な警鐘を投げかけるものであろう。

 第7章は第6章の延長線上にあり、資本主義経済の論理と倫理を徹底的に解明する。1960年代から70年代にかけて、私はアメリカ留学生活を経験しており、その「光」と「影」の両面を十二分に知ることが出来た。先ず、ロチェスター大学大学院では、「不動点教授」と尊称されるマッケンジー教授の「一般均衡理論」の講義を通して、ワルラス均衡とパレート最適が一定条件下において同値となり、そのことから「真、善、美」というカント流の理想卿が見事に実現されていることを学んだ。これは「或る意味」で「東西冷戦下における資本主義の優位性」を示すかのようである。この「或る意味」とは一体何なのか、そしてそれは倫理と正義の観点から果たして正当化できるのか。これらの点について他の誰よりも深く鋭い分析を行ったのは、「資本主義の革命家」とも呼ばれるシカゴ大学の重鎮ナイトなのであった。ピッツバーグ大学助教授時代の私自身は、ナイトの問題提起などを前にして、一般均衡理論の現実妥当性に対して次第に疑問を抱くようになり、遂には興隆しつつあった「不確実性の経済学」の魅力に次第に惹かれていった。最後の第8章において、不確実性理論の応用例として「原子力発電」の功罪について詳しく分析する。原発問題への経済理論的アプローチは非常に重要なはずであるが、私自身の分析を含めても未だ少数に留まっている。この分野における今後一層の発展が切に望まれる所である。

 「テンサイ(天災)は忘れた頃に来る」これは稀代の自然科学者・寺田寅彦の言葉である。願わくは、この21世紀において、ケインズやナイトを超える程の「学問上のテンサイ(天才)」が、人々の忘れる前に続々出現し、リスク・蓋然性・不確実性の研究レベルが飛躍的に向上することを期待するばかりである。