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彦根アイデンティティについての文化研究

社会システム学科 教授 阿部安成
 本研究の目的は、19世紀末以降における彦根でのイヴェントをとおして、彦根における歴史意識をとらえるところにあった。
 この研究を実施するために、彦根市立図書館、京都府立図書館、国立国会図書館、横浜市中央図書館、神奈川県立公文書館で史料の調査と収集をおこなった。
 本研究をすすめるなかで、口頭報告1回(滋賀大学経済学部ワークショップTexture in Cultural Backyard4、2010年1月26日)をおこない、論稿2編を発表した((1)「ナオスケが立つ-1910年彦根、井伊直弼の銅像建立」滋賀大学経済学部ワーキングペーパーシリーズNo.119、2009年10月、(2)「ナオスケの首が-この世にあってはならないこと」同前No.122、2010年1月)。
 口頭報告の要旨と、論稿の(1)(2)の全文は、滋賀大学経済経営研究所のホームページをとおして、ウェブ上で公開されている。
 本研究による成果の概要を、前記の論稿(1)(2)の内容を紹介して示すこととする。
 論稿(1)では、彦根における井伊直弼の銅像建立について考察するとともに、その史料の一端を紹介した。これまで井伊直弼の銅像については、横浜のそれをめぐって筆者などの研究があったものの、出生地であり藩主でもあった彦根においては、『彦根市史』ですらその地に立つ直弼銅像については考察がなかった。その理由の1つは、彦根の直弼銅像建立についての史料が忘れられていたことによると推測できる。
 筆者は本研究をすすめるなかで、彦根市立図書館が所蔵する『故井伊直弼朝臣銅像除幕式之記』を再発見した。同書は彦根市立図書館が発行した郷土資料目録に掲載されているものの、これまでこれを使った論稿はまったくなかった。筆者が再発見したとするゆえんである。
 論稿(1)において、同書のほぼ全文を翻刻紹介し、あわせて当時の新聞紙上での銅像建立報道を転載するとともに、直弼の銅像除幕式というイヴェントの記録である同書をふまえて、郷土の偉人としての直弼の想起のされ方を議論した。
 論稿(2)では、直弼の郷土である彦根では、開国の偉人としての直弼評価がほとんど揺るがないのに対して、もう1体の銅像が立つ横浜においては、直弼を めぐる評価が、ときに大きな軋轢となって社会にあらわれるようすをとらえることで、直弼像の構成についての比較史を展開する端緒を開いた。
 直弼の銅像は、横浜と彦根にそれぞれ1体ずつあり、彦根での建立は横浜に1年おくれて竣工した。ともに第二次世界大戦下での金属回収により撤去され、現在の銅像はいずれも二代めとなっている。彦根では、直弼が郷土出身の開国の偉人として安定したイメージがつくられている表象として銅像が立っていることに対して、横浜では、その銅像は好悪二分した評価をうけ、後者の観点に立つものからはしばしば攻撃の対象とされた。銅像襲撃未遂、あるいは詳細不明の損壊に横浜の直弼銅像はさらされてきた。こうした銅像毀損の言説を解きほぐしてみせたのが、論稿(2)の内容である。
 2010年3月に彦根では、「井伊直弼と開国150年祭」の一環として、映画「花の生涯」の上映が、彦根市立図書館でおこなわれた。このフィルムは、彦根城や横浜の直弼銅像と横浜港の実写映像をはさみこみながら、直弼を偉人として顕彰する歴史意識を織り込んだ構成となっている。開国百年を記念して保存されることとなったこのフィルムをとおして、彦根ではあらためて開国の偉人としての直弼像を定着させようとしたようすがうかがえる。この議論については、2010年内に滋賀大学経済学部ワーキングペーパーで発表する予定である。
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