滋賀大学経済学部のスキー教室の変遷に関する研究
本研究は、1956(昭和31)年より本学経済学部が実施してきたスキー教室の変遷について明らかにすることを目的とした。本スキー教室は、長野県大町市の白樺荘を拠点に近隣のスキー場を利用してきた。したがって、まず、日本スキー史、長野県のスキー史、大学体育の実習に関する先行研究を収集し、研究の蓄積を整理した。そして、本スキー実習に長く携わってきた白樺荘の酒井富雄氏と三神憲一本学名誉教授へのインタビューを中心に、その実相の変遷を明らかにした。補足資料として、過去の「スキー教室日誌」、シラバス、募集要項、実習のしおりなどを用いた。本研究の成果をまとめたものを『彦根論叢』第440号(2024年7月・夏号:100周年記念企画第3弾「滋賀大学彦根キャンパスにおけるスポーツコーチングの実際」)に投稿した。本研究では、酒井氏と三神先生へのインタビューからスキー教室の実相を紐解いたが、スキー教室の長い歴史の中、引率してきた他の体育担当教員や多くの参加学生、事務職員、現地のインストラクター、スキー場関係者などのオーラルヒストリーを収集し、スキー教室の文化史的な変遷を明らかにすることを今後の課題としたい。
本研究で明らかになったのは、次の通りである。
滋賀大学経済学部のスキー教室は1956(昭和31)年に始まる。当時、体育担当教員であった榎本彦次先生が、新しい時代の大学体育教育の方向性を模索する中で、スキー教室の導入を検討した。長野県内のスキー場を検討し、滋賀大学経済学部OBの紹介により、実習場所を大町市にある大町スキー場、宿舎を白樺荘とした。現地での実習は3泊4日で、この形式は現在も続いている。
本学経済学部の規程では、1993(平成5)年度まで、1年次と2年次に実技体育が必修であり、スキー教室は、1年次の「体育Ⅰ」と2年次の「体育Ⅱ」で履修することができた。実習は3泊4日、多い時で1度に100名以上の学生が参加し、それを6回、合計で600名以上の参加者がいた年もあった。規程の改訂により、2年次以上の学生が履修できる年もあったが、1999(平成11)年度の学部規定の改訂により、スキー教室に参加できるのは、基本的に1年次生だけとなった。2001(平成13)年度以降の参加者は、少ない年で80名程度、多い年で120名程度と年によって異なる。
スキー教室の初期、学生の移動は列車であり、彦根から名古屋へ、名古屋から夜行列車で松本、松本から信濃大町、そこから長野行きの定期バスや貸切バスで白樺荘まで移動した。この移動方法は、1975(昭和50)年ごろに彦根からの貸切バスに変わった。用具は大学備品からレンタル品へ、またスキーの板、ビンディング、ブーツ、ウェアなども新しい機能をもつ用具を取り入れた。
大町スキー場での実習は、その始まりから2000(平成12)年度まで45年間続いた。2001(平成13)年度から、ヤナバ国際スキー場、青木湖スキー場、白馬さのさかスキー場での実施を経て、2010(平成22)年度から爺ガ岳スキー場へと実習地が定まった。 その後、雪不足のため鹿島槍スキー場での実施やCOVID-19のため実習の中止などもあったが、継続して爺ガ岳スキー場を利用している。