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近江商人系企業人藤野辰次郎のメキシコ植民事業

社会システム学科 准教授 坂野 鉄也

 近世において蝦夷地場所請負によって財をなした近江商人藤野家の分家筋にあたる初代藤野辰次郎が、明治20年代に榎本武揚を中心に興されたメキシコ殖民事業を引き継いでメキシコで農場経営をおこなうにいたった経緯をあきらかにすることを目的として調査・研究をおこなった。まずは4月から経済学部附属史料館で藤野家文書を読み始めたが、その際、堀井靖枝助手の指導のもと「くずし字」を読む訓練を受けた。そのうえで、12月まで豊会館藤野家文書および近江商人関係資料写本を読んだ。たほうで、『網走市史』『標津町史』等の市町村史誌のほか、近世から近代にかけての蝦夷地・北海道史関連の研究論文・研究書を収集・講読した。また9月17日から21日にかけて北海道の標津町立歴史民俗資料館、標津町立図書館、網走市立郷土博物館、網走市立図書館、根室市立図書館、根室市歴史と自然の資料館、別海町立郷土資料館・加賀家文書館で辰次郎および藤野家に関する調査をすると同時に、藤野家ゆかりの場所、網走神社、濤沸湖岸(藤野本家の牧場地跡)等の巡見をおこなった。さらに、2月21日、3月9日の両日に国立国会図書館憲政資料室において、辰次郎がメキシコに派遣した農業技術者である布施常松およびその孫にあたる竹村立統に関係する資料の閲覧をおこなった。
 具体的な研究成果は、2019年3月刊行予定の『滋賀大学経済学部附属史料館 研究紀要』に掲載される論文「藤野辰次郎について」(堀井靖枝との共著)となる。本論文は、大きく二つの節によって構成され、第一節では藤野家の蝦夷地・北海道事業の概要を論じ、続く第二節では辰次郎の事業を本家の事業との関連で論じた。
 初代辰次郎について知られていることはあまり多くない。缶詰業界誌に掲載された短い評伝(真杉高之「明治缶詰人列伝〈14〉 ★印で鳴らした藤野辰次郎」)があるのみであり、根室市歴史と自然の博物館でも紹介された『根室・千島歴史人名辞典』(根室・千島歴史人名辞典刊行会、2002年。)にその名はあるものの、養子となった二代辰次郎との事績の混交がみられ、十分なものではない。メキシコ殖民にかんする研究書においてはその名を間違えられる程度にしか知られていない。たほう藤野本家についても、天保期においては松前有数の豪商となっていたにもかかわらず、『網走市史』(1958年)に比較的詳しく述べられているものの、十分な研究が行われてこなかった。これは従来の研究が、経済史・経営史という観点からおこなわれていたことが一因と考えられ、附属史料館所蔵の「豊会館藤野家文書」を含めてこれまで知られてきた史料では、経済史・経営史研究としては十分なものとならなかったことが考えられる。本論文では経済史・経営史という視点ではなく、藤野辰次郎の人物史として論じることで、従来、等閑に付されてきた史料群を有用な史料として用いることができた。

 附属史料館所蔵の「豊会館藤野家文書」や「近江商人関係資料写本」の藤野家関係文書、それに道東調査において得られた史資料、附属図書館蔵書や国会図書館デジタルコレクション、蝦夷地・北海道史の研究文献を用いて本論文で示した新たな知見は以下のとおりである。

1)藤野家の蝦夷地経営は、藤野家以前に蝦夷地に渡っていた近江商人、いわゆる「両浜商人」とは異なり、回漕業に始まり、その後、場所請負に参入していった。所有した手船の数が、ほかの商人より極めて多いことは従前から指摘されていたが、それらの船を用いることによって松前の地から遠く離れた奥蝦夷地、礼文島から択捉島にいたる広大な場所の経営が可能となった。
2)両浜商人が北陸沿岸の船持や船乗り、いわゆる「北前衆」と密接な関係を築いていたことは指摘されていたが、多くの手船を持つ藤野家も同様に、北前衆と密接な関係を結んでおり、それは近代まで継続していた。従来は、近江商人西川家のみが近代において北陸審議会に参加していたため、近代における近江商人と北前衆との関係は例外的なものとみなされていたが、藤野家も同様に関係を継続していた。
3)近江商人の経営としては一般的に、分家は本家の経営管理下に置かれると考えられてきたが、近代の藤野家においては分家である辰次郎は北海道における本家の資産や本家の雇員を利用しつつも、自らが独立して缶詰事業をおこなっていた。  メキシコ植民事業自体にかんする調査は2019年に入ってから本格的に着手したためここでは論じることができなかったが、それは今後の課題となる。


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