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滋賀大学経済学部附属史料館にゅうすSAM第9号

中世の村人たちの祈り

 開催に今秋史料館では企画展「中世の村人たちの祈り」を開催します。平成七年新営開館時の「惣村の自立と生活」以降、「近世近江の商人」、「滋賀県における鉄道の発達と地域社会」と中世、近世、近代をこの三年間で一巡した企画展は再び、史料館の一つの柱である中世の村落を取上げることになりました。共同体としての中世の村落には農業・漁業等の生産的側面、村落内部の争いを調整する司法的側面、周辺の村落との対立に備える軍事的側面、その他様々な諸側面を有していますが、今回は中世村落の特色の一つである宗教的側面に絞込んで、当時の庶民の信仰の有様を文書で展示してみました。
 期間中には大阪大学の平雅行教授による「日本中世の祈り」、國學院大學の千々和到教授による「'ゆびきりげんまん'の歴史―中世庶民の祈りと誓い―」というテーマに即した興味深い講演会も開催されます。両先生ともこの分野の第一人者として有名な方々であり、皆さんを日頃接することのない、未知の世界へとご案内下さることでしょう。
 現代人にとっては異次元の不思議な世界とも思われるかも知れない中世社会を、史料館の誇る重要文化財指定文書というタイム・マシーンで堪能してみてください。 
(史料館長 小川 功)

企画展解説≪中世の村人たちの祈り≫

 本年の企画展は「中世の村人たちの祈り」と題し、中世の庶民の信仰を明らかにしようとするものです。中世の人々の生活は信仰を抜きにはかんがえられません。おそらく日々の生活の中で、常に神仏と関わらせて考える発想に染められていたと思います。科学が未発達で未知のものが多く存在し、天災や人災に抗する力が弱い社会にあっては、国家から個人までが宗教や信仰に救いのよりどころを求めるのは無理からぬところだからです。
 いまでこそ、政治と宗教は分離されていますが、前近代では、国家や村という権力・法人格を持つ集団が信仰に関わるのは通例でした。しかし、信仰は最終的には個入的性格の濃い事柄です。この個人と村がどのように支え合い、関わりをもちながら中世の庶民信仰を成立させていたか、その一端を収蔵史料で示し、様子を知っていただくのが今回の企画展のねらいです。
 村に生まれ暮らす人々は、生まれながらにして土地の神に護られる、と考えられました。それが産土神・氏神です。氏神は村人たちの結合の中心として信仰され、今に大事に伝えられ維持されています。近江八幡市の大嶋・奥津嶋神社、八日市市今堀の日吉神社、西浅井町菅浦の須賀神社は中世から続くそのような氏神です。中世では神仏習合思想によって、その本地は仏であるとされ、神と一緒に観音や地蔵など仏教諸尊も祭られていました。人々は来世での後生安楽・極楽往生を願い、現世での利益にあずかろうと観音・地蔵に祈り、薬師の力に救済を求めました。その結縁のために土地や御堂を神仏に寄進したのです。人々の願いは様々です。祈願は、自身は勿論、父母兄弟から子供の救済に及びます。特に、自分の後生菩提を弔うところに個人の意識は強く出ています。しかし、それも村や講集団に念仏を唱えることを依頼するなど、個人の祈願も村と離れることなく、村を介して実現しようとしているところに特徴がありました。
 村が神事や仏事を行う場合は、祭日と節旬を中心に年闇のサイクルとして行われました。生産の予祝と感謝のためです。村人たちの祈願、信仰は村内ですべて完結した訳ではありません。近隣の地域間では相互に扶助をしました。また、村は決して閉鎖された空間ではなく、村の外から宗教者が来訪し、修行をし、村は彼等を保護しました。また、村人は観音巡礼をし、熊野まで参詣もしたのです。信仰は広域な地域と人々を結びつけたのです。そのことが、「自身」と「自分の村」の特性を知ることになり、地域性の自覚を促すことにもなったはずです。
(社会システム学科 蔵持重裕)

史 料 紹 介
有川喜内家文書

 この史料は、1997年6月に川西市在住の有川紀久氏より寄託されました。阪神淡路大震災をきっかけに、保存設備の整った機関での保管を望まれ、当館でお預かりすることになったものです。
 当主は代々「喜内」を名乗り、鳥居本宿の上矢倉村に居住していました。江戸時代に街道におかれた宿駅は、交通の拠点として重要な役割を担っていましたが、喜内家は鳥居本宿の財政に関わる立場にありました。また、上矢倉村では庄屋をつとめ、広大な土地を持つ上層の農民でした。江戸時代前期以来、周囲の人々から土地を購入していたことを示す証文類がたくさん残っています。喜内家は、神教丸を製造・販売している有川市郎兵衛家の親類にあたり、江戸時代には大津の店の経営を任されていたようです。市郎兵衛家の文書(当館保管)を素材に、宇佐美英機助教授が神教丸の商標をめぐる問題を研究されていますが、喜内家の史料にも、神教丸の販売権に関わるものが少し見られます。
 喜内家の史料には、絵図が数点含まれていますが、そのなかに、街道沿いに家が立ち並ぶ鳥居本宿の様子を描いた絵図が二点あります。正徳三年(1713)と寛延元年(1748)に作成されたものですが状態も良く、当館で保管する宿絵図のなかでは最古の貴重なものです。 
(史料館 岩崎奈緒子)