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滋賀大学経済学部附属史料館にゅうすSAM第7号

平成九年度企画展
「滋賀県における鉄道の発達と地域社会」開催にあたって

 今秋史料館では企画展「滋賀県における鉄道の発達と地域社会」を開催します。一昨年、昨年の中世の村落、近世の商人に続き、近代を象徴する巨大産業・鉄道業がどのように発達したかを、滋賀県という身近なフィールドでとらえてみたいと思います。同時に鉄道がもたらした光と影を地域社会という小さなスクリーンに投射してみます。
 また鉄道会社は我が国で最古参の近代企業の一つですから、資本主義経済の経済主体の典型として、関係した資本家の横顔、経営ぶり、経理やファイナンス面にも注目したいと考えています。鉄路という文字通り地域に密着した産業として、地元市町村・地域社会との様々な側面での相互関係も史料を使って明らかにしました。
 今展示の特徴として館収蔵品に、各方面の法人・個人のご好意により拝借した多数の現物資料・写真等を加え、従前の文書中心のスタイルに若干の変更を試みました。親しみやすい鉄道というジャンルでの企画展・併催の講演会に、様々な学科の、より多くの学生諸氏の参加をお待ちしております。
(史料館長 小川功)

企画展解説

1 明治期の官設・私設鉄道の発達
 昔から交通に恵まれ有力商人を輩出してきた滋賀県も、明治以降の鉄道網形成では官設東海道本線の最後の未開通区間(湖東線)として残されました。逆に大津、長浜は幹線終端駅、太湖汽船による水陸交通の結節点として一時は繁栄しましたが、1889年の全通で打撃を受けました。
 一方未着工で放置された彦根方面の資本家は、湖東鉄道による民間代行を提案しました。主唱者弘世助三郎らが中井弘滋賀県知事の支援で広く各府県に呼び掛けた私設の関西鉄道は、先に却下の湖東鉄道の変形とも見られます。大阪鉄道をも合併、名阪間幹線となって官鉄と競争しましたが、国有化反対運動も奏効せず1907年国有化されました。以後に誕生した近江鉄道を始めとする県下私鉄は資金難にあえぎ、経営に「辛苦」、結局県外の大手資本に合併・系列化されていきました。1926年近江鉄道の経営が宇治川電気へ移り、1943年箱根土地の傘下となり八日市鉄道を合併しました。
 館収蔵の帳簿、文書に因んだ記念講演会ともども滋賀県下の鉄道発達の歴史を振り返ってください。
2 大正・昭和戦前期の私鉄の発達
 大津を中心とする京津電気軌道と大津電車軌道は、高谷光雄ら地元主体の計画に中央の競願者が合流し、ともに1907年に免許を受け、当初は姉妹関係にありました。迂回ルートの京津間官鉄に飽き足らない大津商人を中心に、両都直結の電車計画が何度も立てられ、挫折を経てようやく成立した京津電気軌道も、結局1925年大手の京阪に合併されました。
 一方経営難から小刻みに部分開業を繰返した大津電車軌道は京阪の攻勢に対抗、1927年同系の湖南鉄道に太湖汽船をも加え、琵琶湖鉄道汽船として統合に成功、宿願の坂本線を完成させたものの負担に耐えきれず京阪に吸収合併され、鉄道部門(八日市鉄道へ)、汽船部門(現琵琶湖汽船)を分離、異色の交通会社は僅か2年で解体されてしまいました。
 湖東に比して鉄道発達の遅れた湖西地方に悲願の鉄道を敷設する動きは地元民を主体に幾度となく繰り返され、その都度挫折しました。難産の末、ようやく江若鉄道として最後に結実したものの、1969年全線廃止され、その役割を国鉄湖西線に譲ったのでした。
3 鉄道と地域社会
 政府の鉄道建設に対し田畑の減少等のため反対する地域も見られましたが、建設工事による人員物資の調達は地元社会に経済効果をもたらし、駅は新たな交通の拠点として盛大な開設式をもって地域に迎えられました。また近江鉄道のように地元の商人事業家達は資金を出し合って、産業と交通の要衝を結ぶ私鉄を建設し、地元銀行や時には地方自治体にも援助を求めて経営を推進しました。駅周辺には運送会社・商店・旅館が軒を連ね、駅前通りが形成されて発展しましたが、旧来の交通機関や宿場町等は鉄道開設によって一時大きな打撃を被りました。駅はまた、就職や遊学、観光・出征等に向かう人々の新たな出会いと別れの場ともなり、特に軍隊や皇族等の地域を挙げての奉送迎は戦前特有の駅の光景となりました。こうした中で各地から鉄道開設や駅設置・路線変更等を求める多様な要求が沸き上がり、多くは政党や地方官庁をも巻き込んで地域政治の一大争点へと発展していきました。このように鉄道と地域社会は多様な関係を取り結んで現在に至っているのです。