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滋賀大学経済学部附属史料館にゅうすSAM第6号

平成八年度企画展を振り返って

 史料館では昨年10月2日から12月20日まで、江戸時代の近江の商人による経済活動を明らかにする企画展『近世近江の商人』を開催しました。代表的な近江商人として中井源左衛門家を取り上げ、館所蔵の18000点に及ぶ「中井家文書」の中から選りすぐった経営帳簿や家訓等を展示するとともに、北海道に進出した近江商人の場所請負と呼ばれる漁場経営の関係史料を紹介しました。さらに今回は全国的に知られた商品を街道で店舗販売した近江の商人として、鳥居本の有川家の特異な商法にも焦点をあてました。
 期間中には講演会も開催し、10月25日には同志社大学教授末永國紀先生に「近江商人の現代的意義」、11月9日には和歌山大学教授上村雅洋先生に「松前に進出した近江商人」という企画展に因んだ講演をお願いしました。また、産業共同研究センター主催企業経営革新フォーラムにも協賛し、「近江商人とベンチャー精神」と題するシンポジウムも開催しました。幸い講演会・シンポジウムとも毎回多数のご参加を頂き、椅子が足りなくなるなど、関係者は嬉しい悲鳴の連続でした。こうした豊富な原史料の展示や専門家の講演、あるいは現代のベンチャービジネスとの対比等により、皆さんにも江戸時代の近江の商人の経済活動に少しでも興味や関心を持ってもらえたとしたら幸いです。
 今秋には、身近なテーマとして滋賀県の近・現代の地域交通を取り上げた「鉄道・運輸と地域社会」という企画展・講演会を開催致しますので、皆さんのご来館をお待ちしております。 
(史料館長 小川功)

ばっくとぅざぱすと その五
自動車発明家としてのダイムラーとベンツ

 鉄道の母国と言えばイギリスで、1825年にはじめて蒸気機関車が走りました。この鉄道は後発国の工業化に大きな影響を与え、特にドイツでは鉄道建設によって産業革命が進みました。それが終了した頃の1886年、今度は20世紀の産業に大きな影響を与えた自動車がドイツで発明されました。発明したのは、あのダイムラーとベンツの二人です。
 カール・ベンツは機関車運転士の家庭に生まれ、小さいころから鉄道と新しい技術に興味を持っていました。工業大学卒業後、彼はマンハイムという町で機械製造を始め、1886年7月3日はじめて三輪自動車を公開しました。他方、パン屋に生まれたゴットリープ・ダイムラーは最初は鉄砲職人として修業しましたが、後に鉄道に興味をもち工業大学を卒業して機械製造を始めました。そして1883年、彼は内燃機関を発明し、それを改良して86年、馬車に搭載して四輪自動車として走らせたのでした。
 こうして二人の天才は西南ドイツの100キロメートルも離れていない所で別々に、しかし同時に自動車を発明したのです。ベンツ社はその後順調に発展し、19世紀末には世界最大の自動車メーカーになり、またダイムラー社も高級車を生産しました。第一次世界大戦後、ドイツ経済が混乱するなかで両社は合併し、今のダイムラー=ベンツ社が誕生したのです。本社のあるシュトゥットガルトの中央駅には、あの三股星のマークがそびえ立っています。
 ところで同社が生産する車は「メルセデス=ベンツ」と呼ばれています。このメルセデスとはどこから来たのでしょうか。それは1889年ウィーンの商人イェリネック家に生まれた女の子の名前に由来するのです。自動車マニアだったイェリネックは自動車レースに参加するため、1898年合併前のダイムラー社に特製四気筒車を注文し、それに愛娘メルセデスの名前を付けたのです。この特注車は翌年のレースで初優勝し、気をよくしたイェリネックはさらに36台も注文を出しましたが、そこに二つの条件を付けました。一つは墺、仏、米について総代理店契約を結ぶこと、そして二つ目はダイムラー社の全ての車にメルセデスの名称を付けることでした。1902年商標が保護されて、メルセデスは高級車の代名詞となったのです。
 翌年、アメリカではフォード社が設立されました。まもなく大衆車T型の大量生産方式がはじまり、今度はアメリカで20世紀の自動車の時代が幕を開けたのでした。
(経済学科 三ツ石郁夫)

きららむし(四)
異体字

 「当用漢字」とか「JIS第一・第二水準漢字」などは日ごろ漢字に関心を持たない人でも聞いたことがあると思います。私たちの日常生活では、このような区分を意識せずに活字を読んでいますし、普通の日本人なら約1500字の漢字を書けると言われています。
 しかし、歴史学や文学の少々生硬な文章を読んだ時、全く見たこともない漢字に遭遇することがあります。その時に辞書を引けば、ほとんどの文字は解決できるものです。ところが、漢字辞典にもない文字が、とりわけ古文書にはしばしば登場します。これらの多くは「漢字」ではない「国字」であったり、「正体字」ではない「異体字」である例が多いのです。例えば、「峠」という字は中国漢字ではなく、「山」の「上」り「下」りの境となる所、という意を示す日本国字として創作されたことは、ご存じのことと思います。
 「異体字」は、本来は「正体字」を持ちながら形を変えてしまった文字のことです。日本の前近代の文献を読解するためにはこれらの「異体字」についても知識が必要となります。もっとも、難しく考える必要はないのであって、当用漢字の「楽」は「樂」の省略形であり、それは異体字だともいえるのです。しかし、中には全く見当もつかない文字もありますから、こと歴史学を学ぶためには代表的なものは記憶しておく必要があります。それらの幾つかを紹介しておきましょう。また、史料館には「国字辞典」も「異体字辞典」も備わっていますから、興味のある人や見たこともない文字に出会った時には、調べてみて下さい。
(企業経営学科 宇佐美英機)
異体文字集:異 霊、畢 違、扱 美