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滋賀大学経済学部附属史料館にゅうすSAM第3号

おまちどうさま、史料館全面会館、展示室開室!

 附属史料館は11月20日(月)いよいよ全面開館いたします。1年前に事務部門が新館に移転して以降も史料の閲覧は行ってきましたが、今回、資料の移転が完了し、1階の展示室を開室、展示も行います。この間、関係各位にはご協力とご配慮を賜り、心から御礼申し上げます。
 ご存じの通り史料館は、前身の「近江商人研究室」も含めれば、滋賀大学経済学部とほぼ同じような歴史を持つ伝統ある施設であります。先任者諸氏のご努力によって、日本の近江商人研究・商業史・中世惣村研究に大きな貢献をしてきました。国の重要文化財に指定されている「菅浦文書」や「今堀日吉神社文書」などは、高校日本史教科書に必ずといってよいほど掲載されています。「菅浦与大浦下庄堺絵図」や「琉球貿易図屏風」などは出版物によく利用されています。
 今回開室される展示室では、常設展として「近江商人と村のくらし」が展示されますが、同時に新営開館記念特別展「惣村の自立と生活」を開催します。みなさんの御来館をお待ちしています。
 今後とも広く学内外の人々に利用しやすく、滋賀大学経済学部を内外にアピールできるような情報発信基地として、その役割を高めるよう館員一同努力いたしたいと思っています。ご協力の程お願いいたします。
(史料館長 小川 功)
滋賀の村の原点を知ろう―特別展「惣村の自立と生活」
 滋賀県下各地では、現在も、ほぼ旧村ごとに宮座の神事や祭りがおこなわれ、平和な生活を祈念し、人々の親交の再確認を行っています。このような祭りは村の結びつきの強さを象徴していますが、こうした村は約六百年もの昔から形成されていたと思われます。そして、近江ではこうした村の生活を記した史料が村ごとに今に伝えられているのです。その代表が、本館が保管し、今回展示する「菅浦文書」・「今堀日吉神社文書」・「大嶋神社奥津嶋神社文書」なのです。これらの史料からは典型的な室町・戦国時代の惣村の姿がうかがえます。中世社会独特の生々しい生活と、今に思い当たる村の生活がそこでは同時に発見できるはずです。
「村の領域の成立」
漁業・運輸にたずさわる湖北(西浅井町)の禁裏の供御人集落菅浦は、一四世紀のはじめ、隣接する大浦庄との田畠相論を契機に、大浦庄から村落として自立、集落・田畠・山を含む村の領域を形成していきました。その経過は、実力の行使や訴訟と、軍事的・財政的負担の伴うもので、時には絵図や文書の作成・偽造もありました。こうした集中した組織から惣村が生まれていきました。ここではこの相論の関係史料を展示します。
1 紀業弘注進状案 (乾元元年(1302))
            (菅浦文書「三二」綴六三七号ホ)
大浦庄と菅浦の境についての実検使紀業弘の報告書。
2 大浦庄百姓等陳状 正安二年(1300)
             (菅浦文書「三二」綴六三〇号)
大浦庄側の反論。菅浦は元々は大浦庄内、境相論ではなく田地相論と言う。
3 菅浦与大浦下庄堺絵図 (乾元元年(1302))
                  (菅浦文書七二二号)
菅浦と大浦庄の境を1の注進状と共に菅浦の主張通りに後に作成された絵図。
4 竹生島雑掌道秀訴状案 建武元年(1334)
          (菅浦文書「続一-三〇」綴七五〇号)
相論の再発生の訴状。1の注進状がはじめて証拠文書として提出されている。
5 雑訴決断所牒 建武元年(1334)
             (菅浦文書「三五」綴六九二号)
建武政府の雑訴決断所からの判決。菅浦はとりあえず勝訴した。
6 檀那院衆徒等申状案 暦応三年(1340)
             (菅浦文書「三二」綴六二七号)
菅浦領主山門檀那院の大浦勝訴判決への反論・再訴状。この時3の絵図を証拠に提出。
「村の生活と規律」
 得珍保今堀(八日市市)の村で構成員となることは宮座に属することでした。しかし、村は決して平等な社会ではありませんでした。村人にはなれない人も居たのです。さらに年齢階梯があって、古老以下若衆までの序列と負担・役割分担がありました。村は村の平和を守らなければなりませんから、色々な生活上の規律を決めました。身分の差はありましたが、規律は寄合で話され決定されるのが惣村の特徴で、その点は共和的でした。それら規律は具体的で当時の生活をしのばせてくれます。ここでは村の掟を展示します。
7 座公事定書案 応永一〇年(1403)
          (今堀日吉神社文書「改四」綴三三号)
村の構成員の資格は在所に屋敷をもち座の行事の諸費用の負担をまかなうこと。三つ年下に差別された者もいた。
8 定書案 長禄四年(1459)
        (今堀日吉神社文書「改二六」綴三七一号)
神事や旅人の定め。外部の者への警戒が強い。
9 衆議定書案 文亀二年(1502)
        (今堀日吉神社文書「改二六」綴三七五号)
生活上の処罰規定。「地下人」は同座出仕停止、後家・孤族は在所追放刑。
10 今堀地下掟書案 延徳元年(1489)
        (今堀日吉神社文書「改二六」綴三六三号)
教科書で紹介される今堀としては最も総合的な掟。
11 衆議定書案 文安五年(1448)
        (今堀日吉神社文書「改二六」綴三六九号)
注目すべきは寄合規定。二度欠席すると五十文の科料がかけられる。
12 今堀郷座主衆議定書案 応永三二年(1425)
        (今堀日吉神社文書「改二六」綴三六五号)
日吉神社の社殿と境内の利用に関する規制。博打の規制がねらい。
13 衆議定書案 永正一七年(1520)
        (今堀日吉神社文書「改二六」綴三七二号)
寺社・堂宮が博打場になっていた。日常の生活から解放された場であったか。
14 定書案 弘治二年(1556)
           (今堀日吉神社文書「改二」綴五号)
外部の人は家に入れること禁止。博打・喧嘩もよそ者が原因か。
15 今堀惣分置文 天正一六年(1588)         (今堀日吉神社文書「改二六」綴三六七号)
「野良」・作物の盗みに関する処罰規定。夜と昼で犯罪を区別する。
16 今堀惣分掟書 天正一八年(1590)
        (今堀日吉神社文書「改二六」綴三六八号)
地下に対する悪事禁止。村への裏切りを指すか。検地・村高指出・天下統一という緊張の反映か。
「村の徳政」
近江八幡市北津田・島は中世では奥嶋庄であった。この荘園では大嶋・奥津嶋神社の宮座を核とする惣庄が形成されていました。そこでは惣庄を単位に徳政令が出され、村の秩序を再興する政策がとられていたのです。徳政の意は、為政者が仁政・撫民の策を行うことですが、中世では債権・債務を破棄し、元の状態に復帰する事を意味しました。惣村は経済の進展により村人内に債権・債務が発生し、村内に貧富の分極を生み、村の秩序が不安定になることを嫌ったのでした。こうした背景には実際には土地等の売買等が様々な契機で進んでいたのです。この契機が村人の生活を垣間みせます。ここでは徳政制札と様々な処分状を展示します。
17 沙彌性忍えり売券 元弘元年(1331)
       (大嶋神社奥津嶋神社文書「一〇」綴二七号)
えりは定置網の漁法の一種。この売券はえりの設置場所の権利を売却。
18 奥嶋惣中道祖神田所当米売券 貞和元年(1345)
       (大嶋神社奥津嶋神社文書「一四」綴三〇号)
惣が惣有田の得分の一部を西道に売却。本物返とは売値で買い戻しが出来ること。
19 徳政条々制札 嘉吉元年(1441)
           (大嶋神社奥津嶋神社文書一二八号)
嘉吉元年は京都で土一揆があり幕府の徳政令が出された。この徳政制札はそれよりも一ヶ月早く出された。北津田・奥嶋庄の在地で独自に行った徳政である。
20 奥嶋惣庄置文 明応元年(1492)
       (大嶋神社奥津嶋神社文書「六」綴一八二号)
屋敷持が惣庄の成員の資格であることを示す。さた人・おとな・政所が連署し、庄と惣の一体化を示す。
21 源五田地山売券 延文二年(1357)
       (大嶋神社奥津嶋神社文書「二四」綴四五号)
頼母子の負債から田地を売ることになった。頼母子は庶民金融の一種。
22 尼法心田地寄進状 延文五年(1360)
        (大嶋神社奥津嶋神社文書「二」綴五二号)
四郎三郎・四郎次郎の二人の子供が早世したので、その後生を弔うために神社に寄進。
23 尼法心四郎次郎跡譲状 延文五年(1360)
       (大嶋神社奥津嶋神社文書「一四」綴五三号)
早世の四郎次郎に生前譲与していた田畠を、娘に改めて譲ったもの。
24 新三郎出挙米借状 貞治二年(1363)
        (大嶋神社奥津嶋神社文書「九」綴五五号)
出挙米とは種子・農料として借りた米で、利子をつけて秋に返却するのが通例。利子は五割。宮座の出挙。
25 新三郎田地売券 応安元年(1368)
       (大嶋神社奥津嶋神社文書「二四」綴六二号)
24のような借物から「質物」の土地を売却。
26 新三郎田地売券 応安元年(1368)
       (大嶋神社奥津嶋神社文書「一五」綴六三号)
25と同日付、25の売却だけでは返済あたわず、この地も加えたのであろう。
 常設展示は『近江商人と村のくらし』をテーマに 8つのコーナーを設け展示しています。近江商人を表すキーワードのひとつに「持ち下り商い」がありますが、その出発点ともいえる行商用具から、全国各地に出店した後、本店が統括した経営帳簿、商人の心得を説いた家訓・店則等史料館に収蔵する豊富な資料で紹介していきます。また、彼らを支えた家族の生活用具から近世の人々のくらしを辿ります
(史料館 蔵持重裕)