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滋賀大学経済学部附属史料館にゅうすSAM第2号

開学記念特別展示―開催の反響―

 去る5月26日から6月7日の間、本学の開学記念日に併せて史料館では特別展示を行いました。その模様は新聞やテレビでも詳しく報道されましたので、ご承知のことと思いますが、一、近世の彦根と中山道・二、中世の惣村・三、近江商人写真資料・四、近江商人史料・五、彦根高等商業学校遺品の5つのコーナーを設けました。文化財保存上の制約から、今回は現物文書の展示は出来ず、レプリカや写真中心になりましたが、史料館の豊富な収蔵品の一端はご覧頂けたと思います。
 期間中には滋賀県内の6大学の学長各位をはじめ、本学の名誉教授・元事務局長等の来賓多数が来訪されたほか、陵水会、学内の各ゼミ、プレゼミ単位での団体見学などもあって、見学者総数は短期間ながら300名を突破したほどでした。また6月1日には研究所の主催で蔵持重裕先生による「日本中世社会と惣村」という展示品に因んだ特別講演も行われ、本学の教官等に加え、一般市民の参加もあって講義室は満員でした。質疑応答でも白熱した論争が展開され、参加者にも多大の刺激を与えたようです。それぞれのコーナーには興味深くのぞき込む見学者が続出。とりわけ今回初めての出品となった彦根高商遺品にはなつかしそうに見入る卒業生が多かったのは当然としても、本学の長い歴史と伝統を実際の遺物で初めて実感し、身近に感じた学生諸君も多かったようです。
(史料館長 小川 功)

ばっくとぅざぱすと その二

 大相撲の名古屋場所が始まった。最近は若い人のファンが多い。女性ファンも多いという。古典的なスポーツなのになぜ面白いのか、と聞いたら、生で場所を見るとなにしろ綺麗なのだ、そうである。依然として野球党で、なおかつ生で観戦したことのない身では残念ながらこの心境はわからない。
 子供の頃に、こんなクイズがあった。お相撲さんが大福饅頭と炭団(炭を球に固めたもの)をもらいました。どちらを喜んだでしょうか、というものである。答えは簡単で、星取表は白丸が勝ちで、黒丸は負けだから、大福=白丸を喜んだとなる。
 これは鎌倉時代から室町時代にかけて、正月行事として将軍御前で弓矢の的当てを競った行事の記録「御的日記」であるが、一番・二番とあるように、二人ずつの番組でコンペになっていて、一人が十本ずつ矢を放って、的に命中した数を競う。資料写真によれば、延慶三(1310)年分のもの(抄出)で、注目してもらいたいのは人名の下の '白''黒'である。印の下に命中した矢数が書いてあるように、当たりが黒丸で外れが白丸である。現在の星取表とは逆になっているのである。
 このように684年も前では色々な観念が今とは違っている。例えば2倍のことを1倍という。歴史を知ることは今を相対化することになる。
(史料館 蔵持重裕)

きららむし(二)

 私たちの身近には、思いのほか御家流のくずし字が多くある。普段は何気なく見過ごす飲み屋の看板や提灯の文字や暖簾の文字は、大抵くずし字になっているものである。それゆえ、その気にさえなれば古文書解読のための教材にはこと欠かないのである。
 例えば食事に出かけた時、もし箸袋があった場合、その袋には次のように書かれている。
 常識のある人ならこれが「おてもと」と書いてある筈だと考えるだろう。「お」にあたる字は「御」だと推測できるから、「御」の字のくずし字が右のようになることに気付くだろう。そして「ぎょうにんべん」のくずし方には、たて一筆で記す方法があるということにも気付くだろう。「て」と「も」は、右の例では特に問題はないが、難しいのは「と」にあたる文字である。
 右の例では、「と」は「登」をくずしたものであり、専門的に言うと「登」は変体がなでは「と」と読むのである。「登」の文字は「はつがしら」と「まめ」の組み合わせであるから、「はつがしら」のくずし方が右の形だと覚えれば、「豆」の文字を筆順(画数)通りに書かずに右の例のようにくずしても「登」だとわかるのである。なぜなら「はつがしら」の文字は、他に使用する文字としては癸発ぐらいだから、天・ ( )のくずし方さえ区別すれば、適当に「 」と書いても「豆」の字であることを意味することになり、「登」のくずし字だと推定できることになる。
 文字は扁(部首)とつくりから成り立っているので、基本的な部首のくずし方さえ覚えれば、あとはその組み合わせで考えれば良いことになる。なお「と」の字は、「止」の字をくずしたものである。
企業経営学科 宇佐美英機
『くずし字解読辞典』より

被災史料の整理から 

           ・庶民の歴史も貴重な文化遺産 
           ・史料は復興の際の人々の心の支え
           ・次の世代のこどもたちに歴史を残す
 阪神大震災から半年が経とうとしています。5月から7月にかけて数日、史料ネットにより救出された伊丹市の被災史料の整理を手伝ってきました。
 史料ネット=「歴史資料保全情報ネットワーク」は去る2月4日に京阪神4つの歴史学会により開設され、各自治体に協力しながら損壊家屋等から歴史資料(主として民具、古文書)を救出する活動を行っています。現在までにのべ約200人のボランティアにより20数件(ダンボール箱約625箱)の歴史資料が救出されました(史料ネットNEWSJETTER3号)。このうち、家の取壊しが決まって、はじめて発見された史料もあり、今後もパトロール調査、レスキュー活動は続けられる予定です。
 史料を搬入された伊丹市博物館は自然科学を含む市の総合博物館ですが、今度の阪神大震災では被災史料を集積するためのセンターとして重要な役割を果たしました。情報収集やパトロールの拠点となり、館自体が建物の破損で閉館していたため、特別展示室が被災史料の仮保管場所となったのです。私の仕事は直接現場へ出向くものではありませんでしたが、博物館再開の日までに史料の現状目録を作成する作業でした。ここでも大阪大学、大阪市立大学の大学院生、箕面市史編纂室といった多方面からの参加があり7月にようやく整理を完了することができました。
 全国歴史資料保存利用機関連絡協議会においては「災害対策委員会」設置の動きが見られ、「阪神大震災対策歴史学会連絡会」とともに今後の歴史資料の危機管理について広く対策が講じられようとしています。滋賀にあっても今回の震災を教訓に、日頃から史料情報等を地域と連絡を密にし、また、機関での連携をはかる重要性を強く感じました。
(史料館 堀井靖枝)