経済学部

TOP附属史料館経済学部附属史料館広報活動滋賀大学経済学部附属史料館にゅうすSAM ≫ 滋賀大学経済学部附属史料館にゅうすSAM第14号

滋賀大学経済学部附属史料館にゅうすSAM第14号

USJ…UFJ・MTFC・SMBC…って何だ?

 この4月2日の新聞を見ますと金融関連の全面広告が満載されているのに驚かされます。曰くUFJ(U(・)S(・)J(・)ではない)、曰くMTFC、曰くSMBC…。証券界でも大阪証券取引所の株式会社化の報道など…。これらは2001年4月という時期が大きな節目であることを示しています。
 その節目に大学に入学された皆さんには世の中の激変に絶えず付いて行く普段の努力が要求されているわけです。しかし時流に流され、日々の変化に目を奪われかねない激変の時期こそ、今自分の立っている場所の再確認が必要です。現在を再確認する有力な一手段として歴史的視野の養成があります。つまり日々の変化の時間軸を拡大して年、十年、百年単位で変化を巨視的に把握する方法です。
 冒頭の金融持株会社たるUFJ、MTFC、大証の株式会社化なども戦前の三菱合資や株式会社たる大阪株式取引所などの歴史的事実を押さえておけば戦前回帰の流れの一つと理解できましょう。「さくら」と「住友」が合併してなぜSMBC「三井住友銀行」になったのか?の素朴な疑問も戦前の「財閥」の存在感の理解なしには解けません。
 皆さんの今立っている場所の再確認に役立つツールの一つに史料館があります。全国の経済学部でも類を見ないユニークな施設で、全国各地からわざわざ史料を閲覧に来る研究者も多く、知られざる大学名所の一つといえましょう。
 謎の存在である史料館とはいったい何か?五月の特別展示を観て、皆さんでこの謎を解いて下さい。 
(史料館長 小川 功)

ばっくとぅざぱすと その九
「出世証文」とは何か?

 親しい友達同士が飲食をし、いざ支払いという段になって持ち合わせがない時、懐の豊かな者が一緒に立て替えて、払えなかった仲間に「出世払いにしとく」と言ったことはありませんか。
 「出世払い」と何気なく言葉にしますが、これは一体どのようなことだと考えたことがありますか。「出世払い」という行為にも、深い歴史的な意味があるのです。
 「出世払い」とは、法理的には将来の不定時において債務を弁済する、ということです。このことを約束した証文が「出世証文」です。
 「出世証文」は、現在、知られるところでは約100通発見されています。その大部分は、近江国に残されています。そのことの歴史的な意味は、いまだ十分に解明されていませんが、日本における社会的慣習を説明するのには恰好の史料だと考えています。少なくとも、「出世証文」が東日本地域ではほとんど発見されていません。このことから推測すると、日本社会において債務の弁済方法や債務弁済に対する意識が、東西で異なっていたのではないか、という予測を与えます。
 「出世証文」が18世紀末に上方地域で登場し始めたことが分かっていますから、おそらく現在では全国で使われる「出世払い」という言葉は、当初は上方語であったと考えられます。それが全国に流布し共通語となっていく過程には、あるいは全国を商圏として活躍した近江商人の影響があったのかもしれません。
(企業経営学科 宇佐美英機)

きららむし(八)

 本年度のシラバスを眺めてもらいますと、そこに「文書解読A?・A?」の講義概要があります。この科目は、昨年度から開講された新規の講義科目です。
 この科目を開講する目的は、シラバスにも書いてありますが、何よりも「くずし字」を読めるようになることにあります。「くずし字」は、主に江戸時代の文字を対照にして取り上げますが、それは何よりの当時に生きた人々が共通して用いた書体だからです。この書体は「御家流」と呼ばれましたが、武士も百姓・町人もすべて同じ崩し方で文字を書きました。
 したがって、この「くずし字」の解読法をマスターすれば、全国のどこの史料館・博物館へ行っても、展示してある江戸時代の古文書に書いてある文字は読めるようになります。もちろん、すべての学生諸君には初めて出会う体験でしょうから、習い初めは何かと戸惑うことも多いと思います。しかし、外国語を初めて習うことに比べれば、もともと日本語なのですから習熟するのも早いと思います。
 日本の国公立大学経済学部で正式に古文書解読の講義が開講されているのは、本学だけだと思います。経済学部としては、他大学にないユニークな講義科目が多いのは本学の特徴の一つですが、古文書解読の科目は、その中でも特筆されるものです。単位が認定されるかどうかに関わりなく興味ある人は受講し、史料館にある生の古文書の解読に挑戦してみてもらいたいものです。
 史料館にある古文書には、高校の日本史教科書や参考書でお馴染みの中世惣村の原文書や、近江商人の経済活動に関する史料だけではなく、広く滋賀県下一円の史資料、明治期の銀行帳簿などがあり、卒業論文を書くための素材が溢れています。また、商業活動のための小道具類や日用品、あるいは商品の宣伝のための絵びらや看板などの遺物も保管され、一部は展示されています。一度見学に来られれば、新しい知的発見があることは疑いを入れません。
 多くの諸君が積極的に利用されるように願っています。 
(企業経営学科 宇佐美英機)

史 料 紹 介
「琉球貿易図屏風」の成立について―下貼文書の分析から―

 1999年度、史料館では、関係者のご尽力により、永年の念願であった「琉球貿易図屏風」の全面修復を行いました。この屏風は、江戸時代の琉球(沖縄)の風俗を伝える数少ない貴重な絵画資料として、さまざまなメディアで紹介されています。しかし、周辺に史料が残っておらず、その成立については、ほとんどわかっていませんでした。今回の修復には、屏風の中から何か見つかるのではないかという期待も込められていました。そして、屏風の内側から409点の下貼文書が発見されました。これらを分析してみたところ、種々の費用の支払いに関わる帳面だったことがわかりました。家臣の赴任手当、歳暮などの贈答品、殿様の身の回りの品の購入といった事項が記載されています。また、これらの文書は、1830年代頃のものでした。贈答品の相手先に、老中などの幕府中枢の役人の名が出てくるので、時期を類推することが可能となったのです。
 屏風の成立を直接物語る記事は見あたりませんでしたが、しかしこれらの事実は、屏風成立を考える上で貴重な情報です。
 江戸時代において、藩の文書が外部に流れるということはまず考えられませんので、屏風の製作に鹿児島藩が関与していたことがほぼ確実となりました。また、屏風を作るためにはるばる琉球まで文書を運んだとも考えられません。よく似た屏風の絵図が琉球から日本に持ち出されたことがわかっていますので、おそらく史料館の屏風の絵図も、琉球で描かれたものでしょう。それを江戸か、鹿児島か、日本国内に持ってきて屏風に仕立てたと推定されます。次に、屏風が作られた年代は1830年代以降幕末までの時期だと考えられます。というのも、今回の修復では、江戸時代後期に流行していたという、雀をかたどった唐紙が屏風の裏側に貼られていたことが明らかになったからです。
 今回の修復は、屏風が美しくお色直しした以上に大きな収穫のあった修復でした。屏風のお披露目と下貼文書の公開を兼ねて、史料館では今年の5月末から6月初めにかけて展示を行いますので、是非お越しください。
(史料館 岩崎奈緒子)