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滋賀大学経済学部附属史料館にゅうすSAM第10号

歴史的な視点からの長期的観察の重要性

 現在の企業では終身雇用制の放棄、能力給・年俸制導入、赤字部門の切捨など、経営者だけでなく、一般労働者や部門の短期間での業績評価が進行しております。先が見えない未曾有の経済不況の中で止むを得ぬ側面もあるとは言え、かって世界に誇示してきた日本的経営の特色である、短期的利益に拘泥されぬ長期的視点からの経営判断が大幅に後退しているのです。しかし現下の大不況の元凶ともいうべき銀行等の不良債権は、皮肉なことに「短期間での預金・貸出両面の純増額」で行員を督励した結果、ロットの稼げる不動産分野に各行とも傾斜した近視眼的業績評価の帰結でもあります。さらに言えば、金融・証券界が過去に幾度も発生しているバブル現象という歴史的事実に学ぶことなく、専ら短期的な株価上昇に追随する'目先筋'同然の軽挙妄動を繰り返した報いでもありましょう。
 これから4年間、この大學で広義の経済学を新しく学ぼうとする皆さんには、是非とも短期的視野に走る時世に流されず、物事の本質をじっくりと見極める訓練も積んで頂きたい。そのための一手段として長期的、歴史的な観点から経済、経営、社会、金融等の諸現象を解析する歴史系の各科目、担当教官、そして取っ付きにくい「歴史」を目で見える形で展示している史料館の設備の利用・活用を考えて頂ければ幸いです。史料館は、いわば入場無料の'ユニバーシティ・ミュージアム'であり、時空を超えたキャンパス内の'オアシス'でもあるのですから。
(史料館長 小川 功)

きららむし(六)
古文書事始

 古文書事始何気なく通り過ぎる街角や商店にも古文書の教材は満ちあふれています。通りすがりの道標、商唐の看板、商品の包み紙に書かれている文字をじっくりと眺めて見たことがありますか.そこには、思いの外たくさんのくずし字が記されている筈です。
 それらに書かれているくずし字は、鎌倉時代に成立した「青蓮院流(しょうれんいんりゅう)」という和様書道の筆法が江戸幕府によって採用され、公用文書はこのくずし方で書くように決められ、「御家流(おいえりゅう)」として定着したことの名残です。江戸時代に生きた人々は、この筆法で文字を書くことを身につけたため、お国訛りの会話では意志の疎通を欠きましたが、文章での情報交換は可能になった訳です。このような統一的な識字の普及が文化の発展に大きな意味を持ったのです。
 江戸時代の子供は、手習いで平仮名の練習から始めましたが、現代の私たちにとっては、むしろ平易な漢字から学習する方が、くずし字解読能力の上達が早いと思います。一寸見た目には何が書いてあるのかさっぱり分からないように思うかも知れませんが、くずし方のルールを知れば、思いの外これが簡単に読めるのだと気付きます。
 先ずは春の陽気につられて街角をキョロキョロしながら散策してみて下さい。そして、ここかしこにあるくずし字をじっくり眺めて見て下さい。その中の一字でも何となく分かったら、もう古文書を習い始めたも同然です。本格的に解読能力を身につけたい人は、史料館にお越し下さい。新しい知的世界があなたを待っています。 
(企業経営学科 宇佐美英機)

史 料 紹 介
西村氏文書

 個人の所蔵する文書には、「家」の家業に関わって残されたものと、ある時期に特定の個人が収集したコレクションの二種類があって、史料館では、前者を「~~家文書」、後者を「~~氏文書」と呼び分けています。ここで紹介する文書は、西村秀雄氏が集められ、1959年と1969年の二度にわたって寄贈されたもので、後者にあたります。
 この文書は、総点数も少なく、また、一つ一つの史料について、集められた経緯について知ることができないために、史料の性格を特定することが難しく、利用しにくいものです。とはいえ、「引札」といって、江戸時代の商店が宣伝に使った、色のきれいなチラシがあったり、中でも目を引くのが、大正時代にソウルに居住していたと見られる「天野雄之輔」をめぐる6点の史料です。
 2通の旅券によれば、天野なる人物は、彦根に本籍があり、当時京城(ソウル)に住み、三井物産に勤めていたことがわかります。旅券は、かれがシンガポール・香港へ商用で出かけるために発行されたもののようです。天津の総領事が発行した通行証もあって、中国での活動に際して常時携帯していたようです。またこの他、「観察使」といって、当時朝鮮に13置かれた地方行政組織「道」の長官が、その下の「郡」の長宛に出した文書が三通残っています。漢字とハングル文字の混ざったこれらの文書は、天野が、ソウルの北西に位置する黄海道で、柴や炭を購入し輸送するに当たって不便の無いよう、出されたもののようです。
 大正時代といえば、朝鮮半島は、朝鮮総督府が置かれ、日本の植民地支配下にありました。日本の商社マンが、政府の庇護の下に、ソウルを拠点に、東アジアで商業活動を行っていた様子をありありと伝える、興味深い史料といえます。
(史料館 岩崎奈緒子)