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滋賀大学経済学部附属史料館にゅうすSAM第1号

経済学部附属史料館竣工 ―竣工記念公開は今秋に―

 史料館は昭和25年8月に設立、2年後には博物館法による博物館相当施設に指定され、昭和42年6月に学部附属研究施設に認められた経済系研究施設としては全国的にも極めてユニークな存在であります。収蔵する史料は国の重要文化財に指定されている『菅浦文書』等の中世文書を始め、近世の商業史料、村方文書、庶民資料から銀行帳簿に至るまで、実に10万点を超える膨大なものです。
 今回新営なった史料館では「開かれた大学づくり」の一環として、貴重な史料を市民の方達にも公開し、紹介していきたいと考えています。また建物面の充実強化に加えて史料館のスタッフ一同、利用者に十分な専門情報提供が可能となるよう努力していくつもりです。まず、その一歩として学内の学生諸君にも史料館の存在を知ってもらい身近な存在として活用いただくための手引きとして本誌を創刊することとしました。滋賀県や近江商人の歴史にふれるきっかけになれば幸いです。なお、貴重な史料が新築建物に不可避の湿気やアルカリガス等で劣化・変色しないように、当面は事務室閲覧室部分のみの移転を先行させております。本年11月には全体の開館予定です。
(史料館長  小川 功)

ばっくとぅざぱすと その一
史料を「発見」するということ

 私が日頃研究している日本古代史の分野では、紙に書かれた文書や文献の数はもともと限られており、新出の史料が発見される可能性はそう大きくはない。しかしその一方、今日では、全国各地で古代遺跡の発掘が進み、それにともなって、木簡(もっかん)や漆紙(うるしがみ)文書といった、土の中から掘り出された文字史料が急増しつつある。
 なかでも漆紙文書は、土の中から千年以上昔の古代文書が出土する例として、近年、とみに注目されているものである。律令時代の地方の役所には、漆を塗料として使用する工房が付属することが多かった。漆の乾燥や硬化を避けるため、容器には紙のふたをしたが、その際、役所で廃棄された戸籍や租税・土地台帳、兵士の名簿などの公文書が反故としてつかわれる。ふた紙は漆液の表面に密着させるため、紙には漆がしみこみ、遺跡が土に埋もれても、漆でコーティングされた円形の文書が残るというわけである。
 漆紙文書の存在が学界で知られるようになったのは、1978年に宮城県の多賀城遺跡で第1号が発見されてからで、その後、全国で出土例が相次いでいる。以前に「革製品」として整理されていた遺物を倉庫から出し、赤外線カメラで見ると、文書であったという話も聞く。考古学の先生には怒られるだろうが、恐らく、漆紙文書の存在が「発見」されるまでは、全く省みられずに捨てられてしまったものもあったのではないだろうか。
 コロンブスの卵ではないが、学問上の発見とは、新しい物の見方を発見するということでもある。ある情報を史料として発見し、それを我々の知的活動に生かすのは、他ならぬ我々自身なのであり、これは古代史に限らない。新築なった経済学部附属史料館を前に、ここでどのような史料との出会いと「発見」があるか、今からとても楽しみにしている。
(社会システム学科  大隅 清陽)

きららむし(一)

 歴史好きを自認する人は結構多い。ある人は歴史にはロマンがあると言い、ある人は歴史小説を愛読し、またある人は歴史遺物の発見のニュースに関心を寄せ、歴史の「・・・・もの」に追従している。しかし、小説はあくまで小説であり、発見された遺物や「・・もの」で紹介される「事実」は学問的に定説が確立したものではないことが多いのである。
歴史学研究の基本は、自分の眼で見、自分の足で歩いて事実を発見することにあり、ロマンを探すわけではない。したがって、「出無精」な人は、およそ歴史学研究には向いていない。それはともあれ、歴史好きを自認する人でも、いわゆる蚯蚓(みみず)がのたうち回ったような文字を眼にしたとたん腰くだけになる人がほとんどであるのは一体どうしたことか。いずれも私達の祖先が書いた文字であり、れっきとした日本語なのだから敬遠する理由はないではないか。見てくれの悪さ(難解さ)だけで疎んじられるとは、全く不愍なことである。活字だけで知る歴史は、所詮「歴史読まずの歴史知り」にしかすぎない。とは言っても、実際のところ古文書は、もはやそれなりに読解の手ほどきをうけないと読めない世代が多数を占めるようになってしまった。
 私達が最もよく眼にする古文書は近世(江戸時代)に書かれたものだが、この時期に生きた人々は身分・地域が異なっても基本的には全く同じ筆法(くずし字)で書いている。この筆法は、「お家流」と呼ばれる青蓮院流の和様書道の筆法であった。したがって筆法のパターンさえ学べば、まずほとんどの文字を読むことが出来る。意外なほどに実は簡単なのである。
「食わず嫌い」という言葉があるが、古文書の見かけの形で敬遠することなく一度読解の学習を始めれば、1年位で読めるようになることは請け合いである。本学には素材(史料)もスタッフも揃っているのだから、大いに余暇を活用して利用してもらいたい。1年先には、新しい歴史像が君たちの血肉になることだろう。次号からの古文書解読「実践編」を期待していてもらいたい。
(企業経営学科  宇佐美 英機)
※ 「きららむし」とは紙魚(しみ)のことです。