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《ワークショップReD》竹内好を考える――鶴見俊輔『竹内好―ある方法の伝記』(リブロポート、1995年、岩 波書店現代文庫、2010年)をテキストとして

横井香織(寧波大学(中華人民共和国)外教)

阿部安成(本学部教授)

 ひとに歴史があり、それが書かれる――伝記、評伝である。くだんの「大河ドラマ」もそのほとんどが人物伝といってよい構成であり、それほどにわたしたちは、とあるひとの歴史についての知りたがり屋なのだ。歴史学界においても、老舗出版社の吉川弘文館が1958年に刊行を始めた「人物叢書」があり、2003年にはミネルヴァ書房も「ミネルヴァ日本評伝選」を上梓し始め、どちらも数百点の冊数におよんでいる。「シリーズ民間日本学者」は、いまはなくなった出版社のリブロポートが1986年11月に、その初回配本として、高木大幹『小泉八雲―その日本学』と山下恒夫『石井研堂―庶民派エンサイクロペディストの小伝』を発刊した。そのシリーズの1冊が、今回のワークショップのテキストとした、鶴見俊輔『竹内好―ある方法の伝記』(1995年、岩波現代文庫、2010年)である。

 「ある方法の伝記」とは、いくらか珍奇な、あるいは、おおいに稀有な形容とみえる。新刊の、黒川みどりほか『評伝竹内好―その思想と生涯』(有志舎、2020年)も、竹内の「思想の全体像を描き出した思想史的評伝」とみずからの著作を示した。竹内の生涯をあらわそうとするとどうにもただの人物伝とはならないようだ。鶴見は竹内の伝記を、どう叙述したか。

 副題にいう「方法」の語は、竹内が執筆した「方法としてのアジア」が念頭にあって用いたはずだ。同稿は竹内自身が編集し、かつ「解題」も寄せた『竹内好評論集』第3巻「日本とアジア」(筑摩書房、1966年、ちくま学芸文庫、1993年)の最後に載る。それについて鶴見は、「「方法としてのアジア」という言葉づかいは、社会科学の用語になじまないし、レトリックとしても逆説を含んでいる。にもかかわらず、それは竹内好の思想全体を支えるキーワードのひとつである」ととらえてみせた。その稿には、「西欧的な優れた文化価値を、より大規模に実現するために、西洋をもう一度東洋によって包み直す」と竹内は書いた。竹内は、その「掙扎」(「もだえ」「抵抗」)という構えを引き受けることで魯迅を「包み直」し、竹内の身悶えを彼自身への抵抗と受けとめることで鶴見は、1942年に「大東亜戦争と吾等の決意」を執筆した竹内を葬らずに済む手立てを得たといえよ1960年代には「アジア主義者、ナショナリストとしての竹内評価が定着していった」(黒川ほか前掲書)との指摘があっても、竹内の「ナショナルなもの」「日本文化」「民族」「民族主義」をめぐる持続した問いは、戦前、戦時、戦後を貫く竹内の「方法」と結びつき、それは「自分が一度えらんで、その選択を公表したあとは、いつまでもその選択が正当であったという判断に固執し、みずからの予言の無謬をよそおう人ではなかった。このことが彼〔竹内―引用者〕を、かけがえのない思想家とした」との鶴見の評価にいたる。

 竹内が魯迅から継いだ「掙扎」は、悶えるという心身の動きであり態度であり、それはまた自己省察となり、それをみずからの思索と思想の「方法」とした竹内は、それゆえにけして朽ちはしないのだとおもう。

(経済学部教員 阿部安成)

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