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《ワークショップReD》歴史「修正」主義なる衒学との永訣-教育における戦時性暴力について

本学部教授 阿部安成

 かりに、教育勅語(1890年)を暗記させ、それを定期試験の問題として受講生に書かせる講義が国立大学法人でおこなわれたとすると、それはなにを意味することとなるのだろうか。同勅語は、1948年の参議院本会議でその「失効確認に関する決議」がおこなわれ、それが「廃止せられ」、その「効力を失つている事実」が明確にされている。その事実を追認するための試験だとしても、暗記させるとは熟達した教員による仕儀とはいえず、あるいは、その「効力」をいまなおあらためて確認させるための暗記なのだとしたら、そこには、過去の否認と歴史の「修正」を籠めているとなるだろう。かつての国会での決議を正すというわけだ。

 南京事件(1937年)はなかった、東京裁判(1946~1948年)は勝者による敗者の断罪であり無効だ、という議論は、では、1937年12月の南京で日本軍により殺害されたものがいたという事実、また、その第11条に「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判〔the judgments〕を受諾」と明記されたサンフランシスコ平和条約(1951年)の批准、そして発効(1952年)という事実をどうするのか。

 もとより、「凡ての真の歴史は現代の歴史である」(ベネデト・クロォチェ著、羽仁五郎訳『歴史叙述の理論及び歴史』岩波書店、1926年)との指摘が指し示しているとおり、歴史はつねにrevision=再考や書き換えにさらされているといえる。だがそれは、「見直し」、さらには「修正」という語の語義に適格にかなう事態なのだろうか。過去の否認ばかりが先走りして、否認すべき過去を軸に協同してわたしたちの栄えある歴史を掲げようと企てる欲望を発奮する走狗としての先兵を、さきの暗記問題出題者は担っているのではないか。

 わたしは、「従軍慰安婦問題」を考えるにさいして、朴裕河の議論(同著、佐藤久訳『和解のために―教科書・慰安婦・靖国・独島』平凡社、2006年、同著『帝国の慰安婦―植民地支配と記憶の闘い』朝日新聞出版、2014年)が有効であるととらえ、そこから、「複雑性」「当事者性」「構造」「あいだ」を論点としてとりあげた(ワークショップで議論となった、いわば「朴裕河問題」はべつの機会に議論する予定)。

 また、「従軍慰安婦問題」は、ときを経るなかで――NHK ETV2001「問われる戦時性暴力」、ニコンサロン「慰安婦」写真展(2012年)、あいちトリエンナーレ「表現の不自由・その後」(2019年)――それが過ぎ去った遠い時間のむこうの出来事なのではなく、いまなお「問題」として当事者を増やし、けして解決していない事態をめぐる歴史性に着目することで、いくばくかであれ、重く切実にであれ、痛苦をもって受け止めるべき出来事を、歴史において考える知恵とくふうの在処を展望してみた。

 典拠-根拠となる資料、データ、ドキュメントの探査と精査と、それをめぐる思考の鍛錬――これがどの分野であれ、大学教育の要であるはずだ。

(経済学部教員 阿部安成)

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