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《ワークショップReD》沖縄と基地~宮森小米軍機墜落事故とその記憶

土江真樹子 氏

 沖縄公文書館ウェブサイト中のコンテンツ「あの日の沖縄」では、「宮森小学校ジェット機墜落事故(石川ジェット機事件)」の経緯について、下記のように説明している。 

 「1959年(昭和34)6月30日、石川市(現うるま市石川)の宮森小学校とその付近の民家に米軍ジェット機が墜落炎上しました。その被害は、死者17名(うち児童11名)、負傷者210名(うち児童156名)、住家17棟、公民館1棟、小学校の3教室を全焼、住家8棟、2教室を半焼する大惨事となりました。 当時としては世界の航空機史上まれな大事故として内外に報道されました。米軍は事故翌日「嘉手納基地所属のジェット機が訓練飛行中に突然爆発、パイロットは無事脱出したが、機体は目標をそれ、市内に落ちた」と発表、次いで7月2日、正式発表として「不可抗力の事故」であると言明し、住民の怒りをかいました。」(https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4606 2019年11月14日閲覧)

 しかし実際には、このジェット機墜落はボルトの緩みと整備不良が原因であり、そのことは同年の米空軍の年次報告書の、「石川の悲劇」と題された章にも明記されていた。米軍はこの大惨事が全くの人為的ミスによって引き起こされたことを詳細に把握していたにも関わらず、「不可抗力」と虚偽の公表をして隠蔽を図ったのである。

 その真相が明らかとなったのは、事件発生から39年目、当時琉球朝日放送の記者をしていた土江真樹子氏による取材を通じてであった。年次報告書も、その過程で存在と内容が確認されたものである。以後、沖縄公文書館ウェブサイトでも「石川ジェット機事件」と注記しているように、ジェット機墜落は単なる「事故」ではなく、人為的な「事件」であるとの認識が広まっていくことになる。

 そして事件発生から60年が経過した今年、土江氏自身が企画し地元の沖縄テレビと共に制作した番組『60年目の宮森~失われたピースを探して~』が放映された。番組中では、事件当時に宮森小学校の生徒だった久高政治氏ら3人による「石川宮森630会」が米軍資料を収集し、また事件の証言を集めるために奔走する姿を追っている(米軍資料の翻訳作業は、後に『資料集 石川・宮森の惨劇―米国公文書館文書に見るジェット機墜落事件』の刊行として結実する)。

 久高氏は「あのとき1500名の子どもたちがいて、私もその1500のパズルの一つ」と語っており、この言葉が番組のサブタイトルのもとになっている。パズルの無数のピースのように散らばった事件の生存者や遺族、目撃者たちの記憶を丹念に拾い集め、事件の全体像を明らかにし、事故で失われたピース(平和)を求めて未来へ語り継ごうとする作業に、彼らはひたすら取り組んできたのである。

 しかし地元地域にあっては、事件の記憶が悲しすぎ、依然として生々しすぎることから「少しも思い出したくない」「忘れてしまいたい」と感じている人も少なくない。そこには、痛ましい事件の記憶に対して、小さなコミュニティの中でこれ以上傷つき傷つけ合うことを避けるため、住民自身が口を閉ざし封印しようとしてきた現実があった。

 60年が経過してなお、事件の記憶は当事者の心に生乾きのまま深い傷として残っている。そして沖縄には米軍基地が存在し続け、日本政府が辺野古新基地建設を強行しようとする現実があり、沖国大での米軍ヘリ墜落、米軍機からの部品落下、オスプレイの墜落と、その傷に爪を立てるような事態が幾度も繰り返し起きている。WSでこの番組を視聴し、20余年にもわたって宮森と関わり続けた土江氏自身の話を聞きながら思ったのは、米国と日本が沖縄に強制し続ける過酷な状況と共に、当事者が「忘れたい」と願う記憶を呼び起こさせ、映像や記録として紡ぐことで「歴史」として継承する行為そのものの意味についてであった。

 フロアとの討論の中で、「沖縄の人々の怒り」について問われた土江氏が、「怒りより悲しみだと思う。沖縄では宮森のほかにも無数の「事件」が起きているが、それらは今でも「癒やせない傷」であり続けている点で共通している」と答えたことが印象に残っている。それら「事件」はあまりにも理不尽で悲惨だったからこそ、決して風化させてはならない。この点、実は宮森の事件は現在沖縄県内で知識が広く共有されておらず、地元でも若い世代にはあまり知られていない。だから、それらを「歴史」として継承しようと力を尽くす630の会や土江氏の営為は、尊くて貴重である。

 では本土在住の我々は、そこから何を受け取ることができるのか。我々は「事件」の当事者では決してあり得ないが、沖縄の人々が置かれ続けてきた状況全体への責任がある。その立場を自覚しながら、いかに思考し行動するべきか―そのようなことを考え続けている。

※WS開催後、『60年目の宮森~失われたピースを探して~』は、第57回(2019年度)ギャラクシー賞の奨励賞を受賞しました。誠におめでとうございます。

(青柳周一)

講演会の様子
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