経済学部

TOP経済経営研究所(ebr)講演会・研究会 ≫ 《ワークショップReD》ニューギニアの日本軍慰安所と戦後オーストラリアの沈黙+映画上映「戦場の女たち―戦争に犯されたパプア・ニューギニアの女たちの記録」

《ワークショップReD》ニューギニアの日本軍慰安所と戦後オーストラリアの沈黙+映画上映「戦場の女たち―戦争に犯されたパプア・ニューギニアの女たちの記録」

キャロライン・ノーマ(ロイヤルメルボルン工科大学上級研究員・同志社大学客員研究員)

 本ワークショップでは、工科大学上級研究員・同志社大学客員研究員のキャロライン・ノーマ氏を招き、太平洋戦争中のパプアニューギニアにおける日本軍の動向と、当時パプアニューギニアを植民地としていたオーストラリアとの関係についてご発表いただき、それに関連したドキュメンタリー映画『戦場の女たち―戦争に犯されたパプア・ニューギニアの女たちの記録』(関口典子、1989年)を鑑賞した。

 香港、ビルマ、シンガポールなどを奪取した日本が、オーストラリア領であったパプアニューギニアを拠点にアメリカがそれらの新領土を守るためにパプアニューギニアに侵攻し、パプアニューギニアを占領、その土地で売春宿・慰安所を作っていた可能性について、歴史的、また政治的視点から検証された。現地の日本軍相手の売春宿・慰安所にいた女性の数は600とも2000とも言われており、売春宿・慰安所の数は7件とも20件とも言われているとのこと。1942年末のオーストラリア軍当局の資料には、これらの施設について「ianjo(慰安所)」とアルファベットで記載があることも示された。

 ノーマ氏は、オーストラリア政府が、自国の植民地であったパプアニューギニアで、日本軍が売春施設を保有していたことを早い段階で知っており、1943年の時点ですでに強制売春は戦争犯罪とみなされていたにもかかわらず、女性を守ろうとするどころか、笑いの種にしていたことを批し、その原因をさぐり、オーストラリア政府の責任を追及している。当時のオーストラリア軍と政府が、「Geisha(芸者)」というものに抱いていた「ロマンティックな幻想」に加え、白人がアジア人女性を売春することに対して無感覚になっていたことなどが、当時の資料に基づいて検証された。

 また、1942年~43年にかけてパプアニューギニアに存在していた慰安所・売春宿についての、日本人捕虜の発言、オーストラリア軍兵士の日記、当時死体で発見された「日本人芸者(Geisha Girl)」 についての新聞記事、海外へ人身取引されラバウルの売春宿で日本軍の兵士相手に仕事をさせられていた日本人女性の証言など、多くのエビデンスを検証。慰安所・売春宿で働いていた女性達の多くが、日本や朝鮮半島から人身売買されてきたアジア人女性だったのに対し、パプアニューギニア現地の女性達を同様に性奴隷として慰安所・売春宿に軟禁していたのかどうかについては、充分なエビデンスが得られていないことに言及。これは、「慰安婦」問題のエビデンスがいかに歴史上の資料として残りにくいものなのかを逆に裏付けるものであり、「証明できないこと=なかった」ことではない、と言える重要な足がかりなのではないかと思われた。

 現地女性らが慰安所で性奴隷とされていたことの確固たる証拠はまだ発見できていないとはいえ、ノーマ氏の研究ではすでに、日本軍兵士による現地女性の数多くのレイプ事件が明らかになっている。発表からは、正式な記録が日本軍側にもオーストラリア側にも残っていないがために、戦中も守られず、戦後も何の補償を受けることもなく忘れ去られようとしている被害者女性たちのために闘おうとする強い意志がよみとれた。

 戦中のみならず戦後も、オーストラリア政府が(植民地下にあった)パプアニューギニアの女性達のために日本の戦争責任を問うこともせず、元「慰安婦」を支援する法案も否決し(2007年)、日本に対しては、むしろ捕鯨問題を声高に訴えてきたことは、まるで女性の生命や尊厳が鯨よりも軽んじられているかのようで、オーストラリアの政治界における男性中心主義を垣間見た気もした。

 日本国内において、パプアニューギニアにおける日本の戦闘は、日本兵の飢餓やマラリア等、悲劇的な敗退に着目されることが多いが、その影に埋もれてきた現地の人々にも着目し、「日本の戦争責任」に真摯に向かい合わなければいけないことを痛感した。

(菊地利奈)

講演会の様子
講演会の様子

経済学部講演会・研究会のページへ