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《ワークショップReD》戦争とポスター

田島奈都子 氏

 講師の田島奈都子さんは、2016年に勉誠出版から、『プロパガンダ・ポスターにみる日本の戦争―135枚が映し出す真実』を編集刊行した。2019年10月10日の報告は、同書をふまえて、十五年戦争期(1931年~1945年)の「日本製プロパガンダ・ポスター」と戦争とを論じる内容だった。田島さんは「プロパガンダの定義」をつぎのとおり示した――「立場や見解の対立する問題に関して、言葉やその他のシンボルを駆使して個人あるいは集団の態度と意見に影響を与え、意図した方向に彼らの態度や意見を変化させ、さらには行動を誘うことを目的とした、慎重に計画された説得コミュニケーション活動のことである」(レジュメ)。そのデザインは、商業ポスターと重なる構図や絵柄があったり、そうでありながらも戦時色がよりいっそう濃厚に画中に籠められたり、また、海外のポスターとの類似性や、ポスターの図柄が絵葉書にも用いられるなど、多様であり汎用だったメディアとしての特徴が有意であった。 

 ただし、「同時代の欧米のプロパガンダ・ポスターでは、敵国の指導者を悪魔やモンスターとして描いたり、戯画化して風刺する傾向が強かったが、そうしたことが見られないことに対して、「違い」を実感」(レジュメ)したという。この点は、報告後のディスカッションでも論点となり、戦意高揚を意図する日本製プロパガンダ・ポスターであっても、「鬼畜米英」の語すらほとんど書き込まれていないという。

 『人種偏見―太平洋戦争に見る日米摩擦の底流』(ティビーエス・ブリタニカ、1987年、『容赦なき戦争』として2001年平凡社刊、原著War Without Mercy, 1986)の著者であるジョン・W・ダワーは、「半宗教的な鬼または鬼畜〔中略〕のステレオタイプは、戦時中の敵に対する日本のプロパガンダの支配的な隠喩であった」と述べつつも、「日本人の戦争用語は、かなり広範な敵を侮辱する言葉を含んでいたが、こうした悪態が作詞家の世界に入り込むことは滅多になかった」と、田島さんがとりあげた日本製プロパガンダ・ポスターにつうずる指摘をしていた。「プロパガンダは、敵の残虐性を捏造するという意味においてではなく、それを相手方だけに特有のものとして描くという意味においてまやかしであるのが普通である」というこれまたダワーの見解をふまえると、日本製プロパガンダ・ポスターをメイド・イン・ジャパンの既製品としてくくらずに、だれが、どこで、だれに向けて、どの言語で、どういう意匠のプロパガンダ・ポスターをつくったのかを検討することであらためて(ディスカッションでは「満洲」で「中国人」向けにつくられたポスターもあったと披瀝された)、「日本」というフィールドや「ポスター」というメディアを再構成するとともに、「戦争」をめぐるartとしてとらえかえすことができるだろう。

(阿部安成)

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