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《ワークショップReD》海南(かな)友子監督『Mardiyem(マルディエム) 彼女の人生に起きたこと』(92分)の上映とディスカッション

菊地利奈(本学部准教授)

 本ワークショップでは、ドキュメンタリー映画『Mardiyem彼女の人生に起きたことー55年ぶりの「慰安所」への旅』(2001年、監督・海南友子)を上映した。本作品は、13歳のときに「従軍慰安婦」にさせられたインドネシア人の女性、マルディエムさん(Mardiyem)の、日本政府とインドネシア政府を相手に戦争責任と賠償を追及する闘いと、55年ぶりに「慰安所」があった場所を訪れる決意をしたマルディエムさんの旅から成り立っている。

 2001年に完成した本作品を撮影した社会的背景について、監督の海南友子(かな・ともこ)氏は、「教科書問題」「小泉首相の靖国参拝」「9/11」のテロ、そして「テロにかこつけて<正義>のために戦うべきだという風潮」をあげている。そのような社会風潮を肌で感じながら、海南氏は、元「慰安婦」であるマルディエムさんと、彼女が騙されて連れ去られ、軟禁状態で性奴隷として使われたボルネオ島にある元「慰安所」を訪れる。マルディエムさんを取材し映像におさめながら、海南氏が学んだこと、それは「<戦争>自体をおこしてはいけないんだ、というとても当たり前のこと」だったという。

 映画作成時から15年以上たった今、「戦争」を取り巻く状況は、良くなるどころかむしろ危ぶまれるものになってきている。さらには、「戦争」体験者の高齢化にともない、「戦争」の記憶の共有や継承が難しくなっているようでもある。「慰安所」で「一番若い女性」だったマルディエムさんも、今は亡き人となってしまった。

 本作品の中で元「慰安婦」の女性たちが訴えるように、日本政府もインドネシア政府も、元「慰安婦」たち全員が「死ぬのを待っている」としか思えないような、不誠実な対応をしてきた。しかし、それは政府だけの問題なのだろうか。「従軍慰安婦問題」について真摯に向き合ってきたとはいえない私自身も、そのような政府の不誠実な対応を、直接間接的に支持してきてしまったのではないか。そしてその根底には、不特定多数の男たちと性行為をする女性の身体を「不浄」だとする社会の価値観、という問題がありはしないか。言い換えれば「貞操」であるとか「処女性」という、男性中心社会で男性により「価値があるもの」だと定められた価値観に、わたしたちがいまだに縛られているという現実があり、このことが、元「慰安婦」の女性たちに、政府との闘いだけでなく社会との闘いを強いてしまったのではないか。彼女たちが「普通に」社会復帰して暮らしていくこと、肩身の狭い思いをすることなくひとりの人間として尊重されて生きていくことを、より困難なものにしてきたのではないか、深く考えさせられた。

 上映後のディスカッションでは、「従軍慰安婦問題」といえば日韓の問題であるかのように扱われることが多いなか、インドネシア人やオランダ人の被害者もいたことを正面から取りあげていることを評価する意見や、「従軍慰安婦問題」に関するこれまでの日本政府の対応に対する政治的・歴史的立場からの見解、女性に対する強姦・レイプを扱った他の映画との比較などがあがった。特に、ボルネオには元「慰安所」の建物が今でも残り、市場として利用されているにもかかわらず、その場所が「慰安所」であったことを知る人がほとんどおらず、記憶が継承されていないという現実についての歴史的見解、「メモリー」と「ファクト」の問題、その場所を再訪することによって、記憶が新しく作り替えられていく、あるいは(よい意味で)塗り替えられていくプロセスが記録されていることについて、議論がかわされた。

 現在、「従軍慰安婦問題」を扱ったドキュメンタリー『主戦場』(監督・ミキ・デザキ)が上映され、メディアを賑わせている。たとえ、元「従軍慰安婦」として被害者となった女性たちが全員亡くなり、賠償や責任を求める声が下火になったとしても、「従軍慰安婦問題」そのものが解決するわけでも、ましてや、なかったことになるわけでもない。本問題は、政治的、歴史的、そして女性の尊厳をめぐる、基本的人権にかかわる問題として、継承され、議論されつづけなければならない。

(菊地利奈)

講演会の様子
講演会の様子

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