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《ワークショップReD》元号考

阿部安成(本学部教授)

 元号について考えるにさいして、①制度として、②造物(もの)として、との2つの観点を設けた。

 ①制度として元号を考えるときまずは、「一世一元の制」(1868年)をとりあげ、そこでは、これまでの「吉凶象兆」による改元から「御一代一号」にあらため、同時に「躬親万機之政」=天皇親政が宣告されていることを確認し、明治1年の五条誓文から天皇東行までの変動の中核に、一世一元という新機軸が位置づけられているととらえた。それまでは、吉凶、辛酉革命、甲子革令、代始を機会としておこなわれてきた改元が、天皇の即位により実施され、そのときにあらためられた元号とは、生身の天皇の死去とともに終わる時間の表示となったのである。

 この時間をめぐる制度は、大日本帝国憲法(1889年発布)と皇室典範に継がれ、しかし、日本国憲法(1947年)の施行とそのもとでの皇室典範とによって停止され、1979年施行の元号法によって再始動した(国立国会図書館法令沿革一覧では、同法により「一世一元の制」が消滅したとする)。天皇の終身在位の期間をあらわす元号は、天皇が生身であるがゆえに長短のくりかえしが生じたり皇位継承者のだれもが長寿をまっとうしたりするなかでの先細りを暗示する表示ともなり、それは制度の危うさを感じさせてしまう(明治は45年、大正は15年、昭和は64年、平成は31年、つぎの元号は?)。生前退位は、この危うさを打開する好機となる可能性がある。

 ②「一世一元の制」は、統治権の偉大な総攬者の在位をあらわす時代観念をつくりあげ得る一方で、象徴の在現期間を表示するたんなる物指にもなりかねない。そうした造物によって計られる時間が、「私も80を越え」とか「高齢による体力の低下」とか「次第に進む身体の衰え」などといった「おことば」によって安定をとりもどそうと図られれば、また、「兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからはできないです」という覚悟の表明によって懸念が示されるとき、「おことば」という敬意が籠められた文言とは裏腹に、聖なる時間がますます世俗化してゆく展望を切り開いてしまったともいえる。

 とってもみ近な親しみと、でも、ちょっと近づき難さが残る敬いの対象としての天皇なるものについて、「知的で穏やかな印象を受けました」(『朝日新聞』2019年5月1日朝刊別刷)と述べる一国民があらわれ、本来であれば2019年5月1日午前0時に始まったはずの新元号を冠し得る時代をめぐって、特例大型連休明けの5月7日朝に、新元号をつけた「日本の本格始動」を宣言するテレビメディアをみるにつけ(「NHKニュースおはよう日本」など)、なしくずしの世俗化の進行を感じ、同時に、空虚となってゆく中心を埋めてゆくなにものかへの注意をおこたってはならない緊張を感じた。

(本学部教員 阿部安成)

講演会の様子
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