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《ものひと地域研究会》今改めて問う「共生社会とはなにか」

奥田知志(牧師、NPO法人抱樸理事長、公益財団法人共生地域創造財団代表理事)

北九州を中心にホームレス支援に取り組んでいる奥田知志さんをお招きしてお話を伺った。

奥田さんが運営しているNPO法人抱樸の名前は、「素を見し樸を抱き」という老子の言葉に由来しているという。樸とは荒木(原木)のこと。荒々しい原木は時としてそれを抱くものを傷つけることもあるが、抱かれてやがて柱となったり、家具となったりする可能性があるという。

今回の奥田さんのお話のひとつの柱となったのは、相模原市の障害者施設で起こった元職員による刺傷事件である。「重度障害者は生きていても意味がない」という勝手な思い込みから、呼びかけに応答しない障害者の方々を次々にさして死傷した事件である。奥田氏はこの事件を題材に、今の時代は狭義の経済性(あるいは生産性)に特化して人の生きる意味が語られることが多く、加害者自身もそうした「時代の子」であったと分析した。「LGBTは子どもを成さないから生産性がない」という自民党の杉田水脈議員の発言などもその延長線上にある。

そのうえで、奥田さんは、共生社会の大前提は、生きる意味を問うことではなく、「生きることに意味がある」とまずは定置することであるという。

虚言を弄して色々な人から借金をしていた、あるホームレスの女性の話は印象的であった。病を患い、遂に亡くなったときに、「被害」にあった同じホームレスの人などは口々に「だまされたなあ」などと言いつつも、いざ出棺の段階になると「ありがとうな」「また、会おうな」などと叫んだというのだ。

ここに、いわゆる経済合理性では計り知れない、人の普遍的価値がある。

まずは慈しみ抱く。ともすれば荒木は荒木のまま朽ちていくものもあるかもしれないが、それでも抱く。奥田さんが「抱樸」に込められた意味である。

最後に奥田さんは聴衆に「相模原事件の加害者に何を語るのか」という宿題を残された。彼のおこなった行為は紛れもなく許しがたい反社会的行為であることは間違いない。しかし、そんな彼に「生きる資格はない」と語ることは、私たち自身が犯行当時の「彼」になることを意味するのではないか、そんな問いである。答えは簡単には見つからないかもしれないが、考え続けていきたい。

(中野 桂)

講演会の様子
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